観月ありさのオーラに震えた1年目

ところで、もう時効だろうからこの場を借りて言わせてもらうが、デビュー当時、実はもう1つの芸能プロダクションからも合格通知をもらっていた。悩んだ結果、2つの事務所に所属していた。

業界のルールも何もわかっていない俺は、かけもちして、どっちかうまくいきそうなほうでいいや、くらいに考えていた。

2つの事務所に在籍していたが、どちらからか仕事がくればそちらに行き、どちらの事務所にも顔を出した。とにかく売れればなんでもよかった。

一方、どちらの事務所でも、マネージャーさんたちに顔を覚えてもらうように挨拶周りをする、といった小さな努力は欠かさなかった。同時に自分の特技を伝えて、こういう役をやってみたい、こんな番組に出たいともアピール。

事務所の中でも、力のありそうなマネージャーに気に入ってもらおうと、飲みに誘ったこともあった。その結果、仲良くなったマネージャーが、俺に優先的に仕事をふってくれるようになった。

初めてもらった仕事はCMのエキストラだった。

携帯電話のツーカーセルラー東京(当時)のCMの通行人役だ。メインは女優の観月ありささんで、彼女がスタジオ入りしてきた時に、びっくりするくらい綺麗だったことは今でも鮮明に覚えている。

砧スタジオに50人くらいのエキストラの男女が集められ、その50人が渋谷のスクランブル交差点みたいに縦横斜めに行ききし、その真ん中で観月ありささんがケータイで話すというシーンだった。

本番までは代役の女性を主役に見立て、その周りをエキストラたちが歩き回る。リハを何回もやったあと本番が始まる。

「観月ありささんが入られまーす」という声と同時に入ってきた観月さんに、会場のエキストラたちは「おーーっっ」とどよめいた。

俺も、この世界で売れたいと思ってることなどすっかり忘れ、ただの一般人と化していた。それくらい美しかった。収録は順調に進み、初めて見る芸能人のオーラに圧倒されたまま、初めての仕事は終わった。

ちなみに、この当時、所属していた2つの事務所は、芸人になる頃にはいつの間にか行かなくなり、フェードアウトしたまま辞めた。

あれから23年。観月ありささんと再びお会いしたことは、まだない。

(構成:キンマサタカ)

『TAIGA晩成 ~史上初! 売れてない芸人自伝~』は、次回2/25(金)更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
TAIGA(たいが)
1975年生まれ。神奈川県出身。2005年『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』(フジテレビ)、2009年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、2009年の『あらびき団』(TBS)、2014年の『R-1』決勝進出でプチブレイク。下積み時代が続く中、2020年の『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』(中京テレビ)、2021年の『アメトーーク!』(テレビ朝日)出演で再ブレイクの予感がする46歳。