オール阪神・巨人がいかに偉大な存在かというのは、特段の演芸ファンでなくとも知っていることだろう。1975年のデビューから今日まで、ずっと第一線で活躍し続け、上方漫才大賞は史上最多の4回受賞、2016年には芸術選奨の文部科学大臣賞、2019年には紫綬褒章も受章するなど、日本漫才界の重鎮として輝かしい功績を残した大師匠である。

いまだに現役バリバリで劇場に立ち続けるほか、それぞれピンでも活動。オール巨人は『M-1』の審査員としてもおなじみだが、その彼が長年培ってきた自身の漫才哲学、美学をまとめた著書『漫才論』(ヨシモトブックス)が滅法おもしろい。

ただ自分の成功談や「漫才とはこうあるべき」という“べき論”を展開するのではなく、マヂカルラブリーやランジャタイといったニューウェイブな芸風の若手への理解も示しながら、「漫才とは何か」「芸人の本懐とは」といったテーマを、平易な言葉で解説している好書である。同時にこの本は、芸談でもありながら、半世紀にわたって漫才と真摯に向き合いながら生きてきた愚直な男の一代記でもある。

このインタビューは、吉本興業の110周年記念イベント『伝説の一日』の翌日、NGK(なんばグランド花月)の出番前に行なわれたのだが、現場に現われた巨人は、大人物ならではの、凪いだ海のような雰囲気をまとった人だった。

 

練習して舞台でやってる、をお客さんに悟られてはダメ

――巨人師匠は1974年入門ということで、もう半世紀近く吉本にいらっしゃるわけですが、それだけに今回のような周年イベントは感慨深かったでしょうね。

オール巨人(以下、巨人) 僕らは初日の口上と漫才をやらせてもらいましたけど、やっぱりね、勝手に自分でプレッシャーかけるんです。立場があって一番最後に漫才やらなあかんとなると、楽しい気持ちはあんまりないんですよね。ちゃんとやることやらないかん、というプレッシャーのほうが大きいです。

 

――緊張感というか。

巨人 そうですね。今回、漫才の出番前に阪神くんがめまいして(※)大変やったんですよ。それで漫才もうまくできなくて申し訳ないなと思っていて。『さんまの駐在さん』(『伝説の一日』)も出てるときは楽しいんですけどね、2日目も初日と同じネタでええんかなとか考えてるんですよ。大丈夫かな、2日目、どうやろうとか。でも、やってる途中は楽しくて、終わったらほんま満足感がいっぱいで、達成感がある。山を登った感じというのかね。

(※)持病のメニエール病の影響

――この『漫才論』を読んでもわかりますが、師匠は一貫して人間として良くあること、そして「地道な努力」が必要と説いていらっしゃいますね。

巨人 そうですね。でも、これは僕の漫才論であって、5年先には変わっているかもわかりませんし、変わってええと思うんですよ。基本、ええ人間であって常識人であって、法律・マナー・ルールを守る人間であってほしい。ちょっと間違(まちご)うたことが最近よくあったりしますでしょう。力つけたら自分の力を利用してパワハラ、セクハラする人もいてるから、そういうことはやっぱり絶対やったらいかんし。

――その一方で、芸人というのは社会の常識から外れた存在でいることで、大衆が気持ちを投影できるという側面もありますよね。

巨人 これが難しい話でね。みんな真面目でええんかと。やっぱり芸人って、枠から外れた人間のほうが面白いところあるじゃないですか。

――外れた結果、芸人になったという方もいらっしゃいますもんね。

巨人 そうね、そういうのもある。昔は特に多かったんですけども。(横山)やすし師匠とかね。でも、今は「お笑いのなかでは」枠から外れてもらいたいとなるわね。でも、1人の人間となったら、もちろん世間の皆さんと一緒の善人でなかったらいかんと思います、はい。

――そうですか。

巨人 「枠から外れる」ってことを説明すると、例えば100メートルを僕らが10秒で走るとしましょう。綺麗なフォームで走るわけですよね。それは先輩から「そんなことしたらあかん」「こうやって走れ」とか、ルールとかを教わった結果、真っ直ぐ綺麗に走れるわけです。ところが、今は100メートルを10秒以内で走っている子が多い。しかもそのフォームを見るとね、汚いフォームなんですよ(笑)。「なんや、そんなフォームで走れるのかい」と。それがちょっと枠から外れているのに面白い、でも記録は出していくということ。そういう人間であってもらいたいし、そういう人間はたくさん出てきていますよね。それは先輩方の演芸とか、今までの演芸を若手が見てきたからだと思います、新しいもん作れるということは。

――漫才に関して言えば、近年は『M-1』など賞レースの影響もあって、やり取りがかっちり固まっていて、「作品」という感じのものが多いですけれど、師匠の理想とする漫才は、アドリブとかコンビ間の自然なやり取りのクオリティが高いものが最高なんだという。

巨人 はい、だと思いますね。コント形式の漫才というのはやりやすいんですよ。そうなると、パッケージというか、しっかり作ったものになっていくわけです。フリートークのように2人の喋りだけでやっていくというのはなかなか難しい。要は皆さん、「おもろいな、大阪人2人集まったら漫才やな」という人がいると思いますけど、そんな急にできるわけないやんけ(笑)。ちゃんと考えてネタ書いて、最悪でも箇条書きにしてやっとんねん。でも、それを台本に書いて、練習して舞台でやってはんねんなと、お客さんに悟られたらあかんわけですね。