盤石と思えた中国の習近平体制であったが、社会や経済を混乱に陥れた「ゼロコロナ」対策の強行によって国民の不平不満が高まっている。それによって終身独裁どころか、続投さえも怪しくなっているという見方もでてきた。激化する党内闘争、この攻防の結果は秋の党大会まで続く。

中国そして中国人の裏のウラまで知り尽くした石平氏と米国の政治学者エルドリッヂ氏が精魂を込めて語り合った「日本のための防衛論」。この二人だからこそわかる中国と米国の「本音」を聴いてみよう。

社会主義の優越性を証明するための「ゼロコロナ」政策

石平 ウクライナ戦争の行方もさることながら、私は中国国内の政治闘争、国内経済の失速が抜き差しならない事態に習近平主席を追い込み、台湾侵攻の引き金にならないかと心配しています。

2022の3月27日から習近平政権は、ゼロコロナ政策の一環として上海のロックダウンを決めましたが、これにより流通が止まり、住民が食料不足に見舞われるなど混乱に収拾がつかない状況です。

しかも、中国の成長センターの一つである上海をロックダウンすれば、その影響は中国経済全体に及びます。ところが、感染者数の割合は日本の人口規模でいうと2桁程度で、感染自体はたいしたことはないのです。問題は、習近平主席の明らかに間違った政策に対し、誰も文句を言うことができない状況です。

▲社会主義の優越性を証明するための「ゼロコロナ」政策 イメージ:KT_infinity / PIXTA

なぜなら、3月17日に開かれた共産党政治局常務委員会で行った重要講話で、習近平主席はゼロコロナ政策の有効性を自画自賛したうえで、その成功は「社会主義制度の優越性の表れである」と強調していたからです。しかし、いくら強権の独裁者とて、ウイルスの完全撲滅を目標とするゼロコロナなど達成できるはずはありません(笑)。

確かに2020年と2021年の2年間は、コロナの封じ込めにかなり成功した面もあるにはありました。それが仇となって、ゼロコロナ政策はいつの間にか習政権が世界に誇りたい一枚看板の政策となり、社会主義制度の優越性の証にまで昇格してしまいました。

そのため、どんなに社会や経済を混乱させてもゼロコロナは、もはや誰も止めることができなくなったのです。挙句の果てに、習近平は欧米が進めている現実路線「ウィズコロナ」政策に対し批判する始末です。

エルドリッヂ 間違った政策を正すことができない、独裁体制下の硬直性という悪い面が出てしまったわけですね。

石平 本来、習近平主席が大混乱を招いた責任をとるべきですが、党内闘争を思わせる気になる動きが出ています。

4月17日に、中国共産党広西スワン族自治区委員会は全体会議を開催し、翌日の『広西日報』には会議内容に関する党委員会の「公報(公式発表)」が掲載されたのですが、そこには次のような記述がありました。

自治区党委は4月21日から党代表会議を招集し、今秋に開催予定の共産党第20回全国代表大会に参加する自治区からの代表を選出すると決めたうえで、「公報」は代表選出の基準として“二つの確立”への高度なる自覚をあげ、「われわれは“領袖に忠誠”を尽くし、領袖を守り、領袖に追随し、永遠に領袖を擁護しなければならない」と強調してあったのです。

“二つの確立”とは、要するに党中央における習近平総書記(国家主席)の核心的地位の確立と、習近平思想の指導的地位の確立であり、“領袖に忠誠”という場合の領袖も当然、習主席のことを指しています。

つまり、同党委は上述の公報において、習個人への忠誠と追随を公然と表明し、習のことを領袖として永遠に擁護していくことを宣言したのです。

ご承知のように、中国では文革後の鄧小平時代に党の指導者に対する個人崇拝が厳禁され、領袖という言葉も死語になっていました。しかし、習近平政権の2期目になると、党内における習の個人独裁化が進むにつれ、一部で領袖という表現が再び登場して習に奉られ、彼に対する個人崇拝が徐々に広がってきています。

この流れのなかで、同党委による習への忠誠宣言が現れたわけです。共産党の地方組織が公式文章で習に対する忠誠・追随・擁護を公然と宣したのは初めてで、かつての「毛沢東崇拝」を彷彿させます。