類稀なる「言葉の力」でウクライナ国民を奮い立たせてきたゼレンスキー大統領。まだ大統領になる前、コメディアンや俳優として活躍していた彼は、どんな世界、どんなウクライナを見て生きてきたのだろうか。政治・教育ジャーナリストの清水克彦氏が、ゼレンスキーが大統領になるまでの背景について語ります。
※本記事は、清水克彦:著『ゼレンスキー 勇気の言葉100』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「私は政治家ではない」と演説したゼレンスキー
21世紀の戦争は“ハイブリッド戦”と呼ばれる。
陸海空の軍事力を投入する前に、サイバー攻撃や電磁パルス攻撃を仕掛けて、相手国の世論を操作し軍事機器に障害を与える。あるいは、SNSなどを通して特定の情報を拡散し、心理戦や情報戦で相手国に混乱を生じさせるところから始まる。
実際、ロシアは、2014年3月、ウクライナ南部のクリミア半島を強引に併合した際、事前に「クリミアの土地は歴史的にロシアの一部」「クリミアの人々がロシアへの編入を求めている」とする情報を大量に流し、クリミア地方に住む人々のウクライナ政府への信頼を失墜させる工作を進めてきた。
ロシア大統領のウラジーミル・プーチンは、ウクライナ侵攻においても、「ウクライナ東部での大量虐殺(ジェノサイド)を止めなければならない」などと心理戦や情報戦を展開してきたが、それを凌駕(りょうが)したのがゼレンスキーの発信力であった。
「私は政治家ではありません」
この言葉は、2019年のウクライナ大統領選挙で、当時のポロシェンコ政権に不満を持ち変化を求める人々に浸透し、泡沫候補扱いだった男を圧勝へと導いた。
ゼレンスキーはサウンドバイト(Soundbite=ニュースなどに使われやすい短い発言)の達人だ。その力が世論を動かし、ロシアに善戦する要因となったのである。
私は体制を打破するために来た普通の人間
大統領選挙の公開討論会で発したこのフレーズは、2001年4月の自民党総裁選挙で「自民党をぶっ壊す」とワンフレーズで宣言し勝利した第87代内閣総理大臣、小泉純一郎を彷彿とさせる。
ウクライナは汚職がはびこる社会だ。ゼレンスキーは「現体制をぶっ壊す」、しかも「アウトサイダーの自分だからできる」と端的に表現したのである。
彼は、汚職や政治腐敗の撲滅、2014年以降、主に東部で続く親ロシア派武装勢力との紛争終結を公約に掲げ、第6代ウクライナ大統領に就任した。
ソビエト連邦の崩壊に伴いウクライナが独立したのは、彼が12歳のときだ。大学教授の父とエンジニアの母を持ち、ロシア語を話す中産階層の家庭で育ったゼレンスキー少年は、どんな思いで激動する世の中を見てきたのだろうか。
彼が広く国民に知られるようになったのは、2015年に放映された政治風刺ドラマである。教師役の彼が政治腐敗への不満をぶちまけ、それがインターネットに投稿されて話題となり大統領になるというストーリーだ。
まさにドラマが現実化したわけだが、コメディアンや俳優として磨いた話芸は、選挙戦でも、集会や討論会の際、シンプルでかつ強烈な言葉として発揮された。そしてネットに動画を投稿するなどSNSを駆使した戦術も定着させていったのである。