トップクラスの寿司職人の所作は伝統芸能

――そんな日々のなかで「和食」ではなく、「寿司」でいこうと思ったのは、いつごろなんですか?

岡田 修業に入って2年目ぐらいのときに、寿司職人の先輩の1人で、普段は東京の寿司屋で働いている人がいたんです。その人が「芽を潰さないうちに、東京でやったほうがいいよ」と言ってくださった。それで行った先というのが、ガチガチの江戸前寿司のお店で。より専門的に「寿司」という世界に踏み込んだ瞬間でした。

――18歳で修行の店に入り、20歳前後で東京のお店に移ったわけですか?

岡田 そうです。それまで経験したことはゼロではなかったけど、1割ぐらいでしかなく、また新たなスタートになりました。

結局、その店に4年間いたんですけど、その店で学んだいちばんのことは「これ以上の人はないな」と思うぐらい、寿司でトップレベルの先輩が1人いたこと。とにかくすごい人で、この業界でいろんな人を見てきましたが、その人を超えるような技術とスピードを持っている人はいません。

マンガに出てくるような角刈りをしている大将なんですけど(笑)。圧倒的な技術、そして美しい所作。その人と仕事をすればするほど「これは数年では無理だな」ということもわかってきて。業界に入ったばかりの頃は、自信がどんどんついていく日々でしたが、この時期は逆に自信がなくなるというか。「自分では、この人みたいになれないだろうな」と思うくらいになっていました。

でも、そういう高い水準の中に自分の身を置いて、きついけど、そのなかで一生懸命もがいたことが成長につながったのかなと思います。

▲修行時代の岡田氏

――寿司職人の一連の所作って、本当に見とれてしまいますよね。

岡田 当時、スマホがあったら撮っておきたかったです(笑)。寿司職人の所作は、ずっと見ていられるぐらいに美しい。その方のカウンターの前は常に人気で、みんながそこに座りたがる特等席でした。そう考えると、寿司職人の所作は、もはや伝統芸能なんじゃないかと思いました。それを目の前で見られて、しかも食べられる。こんなすごいことはないですよね。

寿司は魚と酢飯が対等でなければならない

――そこから独立を考えるに至った経緯は?

岡田 続けているうちに、「いつか一人前になって独立したい」と思いますよね。でも、“一人前の定義”とはなんだろうと考えたんです。それでいろんな先輩に聞いて回ったところ、1つは技術面。こんなことができたら一人前だ、と。そしてもう1つは金銭面。寿司職人として家族を養っていけるようになれば一人前だ、と。そして、最後にみんな「一生修業だよ」と仰る。いろいろ聞いたうえで、抽象的な定義だと独立に向かえないので「自分で一人前の定義を具体的に決めよう」と思ったんです。

それで、まずは食材がなきゃ仕事にならないから、その食材を買ってくるなり、釣ってくるなり、自分のお金で手に入れて、食べられるように調理できること。そして、それを食べてくれるお客様を自分の力で呼べるようになること。そして、食べてくれた方がおいしかったよとお金を払ってくださる。ここまでの全工程を一人でできたら、ひとまず一人前だろうと決めたんです。

▲自ら海に出ることも少なくない

働いていた店は、土日が休みの店だったので、週末は友達と集まってホームパーティをすることもあったんですが、そういうときに会費を集めて僕が食材を集めて用意し、寿司を作るというようなパーティーにしていました。

最初は3~4人でやっていたんですけど、「3,000円で食べられるなら」と人が人を呼んで、そのうち十数人での寿司パーティーをするようになってきて。そのあたりで、「自分で仕入れたもので、目の前の人に『おいしかった』と喜んでいただけている」と思うようになっていきました。

それで独立に踏み切り、完全紹介制の『酢飯屋』をひとまず自宅でオープンしたんです。24歳のときでした。

――お店の名前を『酢飯屋』にしたのは、どんな意図をこめたんでしょうか?

岡田 僕が酢飯が好きだということがまず1つ。それと、このお寿司に合う日本酒はなんですか? となったとき、マグロに合う日本酒とイカに合う日本酒は違う。それと同じで、マグロに合う酢飯と、イカに合う酢飯は違うんじゃないかと気づき、魚ごとに酢飯が違っても面白いんじゃないかなと思ったんです。

それでたくさんの酢飯のレシピを作るようになったんですが、1日に何種類も作るのはいざやってみるとめちゃくちゃ大変で。だから、みんながやらないのかとあとから気づきました(笑)。

▲『酢飯屋』開店当時

ネタによって酢飯を変えているお店は2~3種が多いかなと思うんですけど、それ以上出しているところはあまり見たことがなかったので、それもひとつの差別化になるだろうなと考えました。東京のお寿司屋さんは数も多いし、自分みたいな若造が始めるとなったとき、何か特徴がないと面白くないですよね。そういうのも含めて『酢飯屋』というのがちょうどよかったんです。

――差別化、つまりは「個性」を際立たせるということだと思いますが、軸を持つ、それに気づけたのはなぜだと思いますか?

岡田 魚と酢飯で寿司はできあがっていますが、一般的には魚が優位の食べ物です。でも、僕の中では対等に思っているんです。魚と酢飯が、どちらもおいしいことで寿司が成立しています。

うちの酢飯は味を薄くしてあるんです。なぜかというと、魚の味も感じてほしいし、同じくらい「お米」の味も感じてほしいから。そうなったときに、酸味が立ち過ぎていたりすると味が感じにくいんです。お米の味を感じてほしいというのは、店名をつけたときから思っていました。

≫≫≫ 明日公開の後編へ続く


プロフィール
 
岡田 大介(おかだ・だいすけ)
1979年2月2日生まれ。寿司職人歴25年(2022年現在)。 東京都文京区にある、完全紹介制の寿司屋『酢飯屋(すめしや)』を経営。 20年ほど培ってきた寿司の知識や技術をもとに現在は、すし作家として活動。『生きものが食べものになるまで』をコンセプトに 海と食のあいだをさまざまな形で表現し発信し、伝え続けている。「やりたいことは、やってみる」。 それが岡田大介の基本理念です。Twitter:@daisukeokada