博士課程の審査は「自分の研究を守れる」かどうか
修士課程を無事修了すると、修士号という学位を得ることになります。修士号が認められると、博士課程に進学する権利が得られます。
博士課程は、「はかせ課程」と呼ばれることもありますが、正式には「はくし課程」です。博士課程を修めて取得できる博士号という学位も、「はかせ」ではなく「はくし」ということになります。
博士課程では、イチから研究計画を立案し、3年間で決着をつけることが求められます。よく、修士課程は研究の練習、博士課程は論文執筆の練習と言いますが、論文執筆に値する研究を3年間で行うことが求められます。
私が博士課程で取り組んだテーマは、脳組織の電磁気学的な特性の数理的な解析方法です。脳というと、心理学や認知科学のようなソフトウエアとしての面が人気ですが、私の興味は脳のハードウエアとしての特性を数理的に理解したい、という少々マニアックなものでした。
本当は、自分が修士論文のなかでシミュレーションして予想した結果を、脳スライスを使って実験的に証明する予定でした。しかしながら、ちょうど東日本大震災があり、東京でも計画停電などの影響で実験が途中でできなくなってしまったため、完全にコンピュータ上でできる研究に切り替えたのでした。
多くの博士課程では、修了の要件として、原著論文を一報以上などという厳しい制約があります。博士論文の審査時までに、要件を満たさなければ、自動的に留年となります。
私が所属していた研究科では、原著2報、または原著1報と国際学会での査読付き口頭発表という、なかなか厳しい要件でした。博士課程3年の夏に投稿した論文は、まだ採択の返事が返ってきておらず、もしこのまま年を越してしまうと卒業要件を満たせなくなるということで、査読付きの国際学会に申し込みました。結果的に、その12月に論文が採択されるのですが、本当に修了できるかとヒヤヒヤしていたのを覚えています。
博士課程の審査の過程もいろいろありますが、中間報告があり、その後、本審査に進んでいいかどうかを審査する予備審査があります。そこで合格をもらって、初めて博士論文を執筆することにGoサインが出ます。博士論文を、審査員(たいていは5名)に査読してもらいつつ、本審査に移ります。
いずれの審査も、プレゼンテーションが主で、短い発表のあとに長い質疑応答の時間が待っています。
海外の大学院では、博士課程の審査のことをディフェンスと呼ぶことがあります。これは、審査員からの激しい攻撃から自分の論文を守るという意味です。審査員は、(わざと)意地悪な質問を繰り出します。これに対して、自分の研究成果や主張を守ってあげられるのは自分だけなのです。
また、審査員を外部の専門家に依頼することもあります。私も海外の大学院のディフェンスに、審査員として参加したことがあります。その大学では、最終試験のプレゼンテーションは、持ち込み不可で、体一つで非常に短いプレゼンテーションだけを行い、その後は大勢の審査員から猛攻撃を受けます。これに対して耐え切ることができたら無事合格となります。
これはある種の儀式のようなものですが、審査員の立場からすると、無事耐え抜いた暁には「ノーサイド」、心からおめでとうという気持ちが湧き上がってきます。よく守り抜きましたね、という誇らしい気持ちです。世の中に博士を送り出すわけですから、その責任は重いですし、無事合格したら胸を張って、博士の世界へようこそ、と仲間意識が湧いてきます。
学生からしても、審査のあいだは、審査員は恐ろしいものですが、あとから思い返してみると、素晴らしい機会を与えてくれた、自分を成長させてくれたと感謝の気持ちが湧き上がってくるものです。私も、今でも自分の博士課程の審査員の先生にお会いすると、その節はありがとうございました、今では一人前の博士になりましたと感謝の気持ちでいっぱいになります。
博士課程の審査後の爽快感は、ぜひ皆さんにも一度味わってみてほしいものです。
研究者はロックミュージシャンと同じ?
高学歴ワーキングプアという言葉があります。せっかく青春時代を研究に捧げてPh.D.(Doctor of Philosophy、博士号のこと)を取ったにもかかわらず、思ったほど高給でもないですし、身分も安定しません。
世間からすると、研究者は好きなことをやっているのだから、その代償だろうと思われることもありますし、親世代からは、いつまで夢を追いかけてフラフラしているのかと叱責を食らうこともあります。
私自身、いつまで遊んでいるんだとか、好きなことができていいねなど、さまざまな声を浴びながらやってきました。
昔から、博士号は足の裏の米粒と揶揄されることが多々あります。つまり、「取っても食えない」です。ロックミュージシャンとしてバンドでやっていくと言えば、親族総出で反対されるのが相場ですが、博士になって研究者として食っていくと言えば、頑張れと言われるのが不思議です。しかし、その根っこは同じで、あまりにもギャンブル性が高いのが現状です。
国内で職を得られなかった研究者は、海外に職を求めることになります。最近では、そもそも日本で就職することを初めから視野に入れずに、海外に活躍の拠点を置いている研究者も少なくはありません。
昔は、そうやって海外で一流の技術を身につけた研究者が帰国して、また一流の弟子を育てるという良いサイクルがありましたが、帰国できない、帰国しない研究者が増えています。
中国では、海外の一流研究室で研鑽を積んだ研究者を、破格の高待遇で呼び戻す取り組みがありました。その結果、今では国内で一流の研究室が、どんどん質の高い研究を行っているだけでなく、国内で育った優秀な研究者を海外に派遣するという取り組みもなされているようです。
これは予算と制度の問題だと思いますので、我が国でも早急に改善されてほしい問題の一つです。