漫画や映画に出てくるスパイ、現実にも「CIA(アメリカ)」「MI6(イギリス)」などがよく知られていますが、持っているスキルは全て、生死に関わる場面でしか使えないと思っていたら大間違いだそう。

彼らが持っている一流の思考術、フレームワークはそのままビジネスに応用できると語る、元防衛省情報分析官・上田篤盛氏が教える「小さな情報が大化けする方法」「諜報員が使っている情報分析術」とは?

※本記事は、上田篤盛:著『超一流の諜報員の頭の回転が速くなるダークスキル』(ワニブックス)より一部を抜粋編集したものです。

ひとつの情報から多くの重要機密を推測する

一見つまらないちっぽけな情報を無視してはいけない。その情報がちっぽけだと感じるのは、情報の価値を見極めるだけの知識や力量がないからだ。

諜報員は、価値がないと思われて、無造作に捨てられている情報に価値を見いだす。

ロシアの情報活動は「ひとりのエージェントがバケツ一杯の砂を運ぶ」。中国の情報活動は「ひとりの収集員が砂一粒を運び、人海戦術によって砂をバケツ一杯にする」と、かつては言われていた。これは、相手側の警戒を希薄にする集団忍者戦法である。

忍者の教科書『正忍記』には、次のような話がある。

先生が弟子たちに、瀬戸物屋さんから値段が一両の物を盗んでくるように課題を出した。弟子たちは、一個で一両する大きなものを盗み出そうとして捕まえられそうになった。

一足先に帰った先生は、ふところから細々としたものをいくつか取り出し、「全部足せば一両だ。大きなものを狙うから失敗するのだ。頭を使え、馬鹿者」と言った――。

陸軍中野学校では候察(こうさつ)という教育科目があった。

候察法とは、たとえば「工場を見て、この工場にはどのくらいの生産力があるか?」「港湾を見て、荷役能力はどのくらいか?」「船舶を見て、そのトン数がどのくらいか?」などを、判断できるようにする教育である。

中野学校で学んでいた人の話によれば、教官が「ひとつの工場を見て、工場の面積がわかれば、だいたいその建物の面積がわかる。建物の面積がわかれば、工作機械の数がわかる。工作機械がわかれば、だいたい生産能力がわかる」というような、情報収集の公式をたくさんつくっていたようである。

たとえば、学生に東京下町の工場の外周を私服でコッソリと歩測させ、工場の面積を図らせる。工場の面積がわかれば、あとは教官のつくった公式集を使って、潜在能力を算定させるという寸法だったようだ。

▲ひとつの情報から多くの重要機密を推測する イメージ:Elnur / PIXTA

これは、「フェルミの推定」の類似版と言える。

「問題を構成している要素を数式などで分解してみる」フレームワークが、フェルミ推定だ。

原子爆弾の開発で、中心的な役割を果たしたイタリア系米国人の物理学者で、ノーベル賞を受賞したエンリコ・フェルミに関するエピソードがある。

彼は「シカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」という質問を、「シカゴでは1年間に調律師の仕事がどれだけあるか?」「ひとりの調律師は年間、何台のピアノを調律できるか?」という質問に分解し、シカゴの人口→総世帯数→ピアノの台数→年間の調律の回数というように推測した。

情報とは表面に現れているものばかりではない。一片の事象からその背後にあるものを想像して、創造的に判断することができるのだ。分解した小さな情報から推測することで、大きな価値ある情報へと変わる。

情報は集めるだけでは意味がないことが、わかっていただけたと思う。さらには、情報を分析、加工してインテリジェンスに昇華させることも重要だ。インテリジェンスこそが、筋の良い意思決定、行動を促す。そこで次に、諜報員が使っている情報分析術を紹介しよう。

インフォメーションとインテリジェンスの違い

インテリジェンスもインフォメーションも、日本語では「情報」と訳されるが、この2つには違いがある。わかりやすく言うと、インテリジェンスとは料理であり、インフォメーションとは料理の素材だ。

インテリジェンスは、素材を選別、成形、調味、加熱など手間暇かけたものであり、インフォメーションは、とれたての野菜や魚肉と言えるだろう。

もっと言うと、インフォメーションは誰が見ても、聞いても同じものであるが、インテリジェンスは情報を使う側が独自の解釈を施したものである。

たとえば、誰が見ても「牛肉は牛肉、豚肉は豚肉である」が、料理人の手にかかれば、「しゃぶしゃぶ」「ハンバーグ」といった別の料理になる。

これと同じく、「本日、午後から大雨になる」という一般に向けられた天気予報も、優秀なビジネスパーソンの手によれば「今日の商品の売れ行きは下がる」というインテリジェンスになり、「仕入れ量を調整する」との筋の良い行動につながる。