やっと見つけた組事務所は・・・

とりあえず、ドンキで購入した背中に鬼(般若)のイラストが描かれた黒のパーカーに、ドクロマークのトレパン、足元は女物のサンダルというトラディショナルなコーディネイトで俺は再び街に出た。

向かった先はもちろん歌舞伎町だ。

ゲームの中で慣れ親しんでいたはずの歌舞伎町なのに、なにかが違う。しばらく歩き回っているうちに俺はその違和感の正体に気づいた。ヤクザらしき人物の姿が皆無といっていいくらい見当たらないのだ。だからなのか、俺がガイジンということもあるのだろうが、道ですれ違う人がみな一様に俺のことをまるで変な生き物でも眺めるような目で見て通りすぎていく。

当初の予定としては、この歌舞伎町で何人かのヤクザと知り合い、どこかよさそうな組を紹介してもらって、そこに就職という言い方はおかしいが、まあ、昔風に言えばわらじを脱ぐというか、親分から盃をもらって正式に組員になるという絵を描いていたのだ。が、その肝心のヤクザがいないのだからしょうがない。

たとえ、それらしき人物がいても、俺が話しかけようとすると迷惑そうにその場を離れるか、あっちに行けというような手つきをするだけで誰もまともに取り合ってくれない。俺は孤独だったガキの頃のことを思い出してなんだか悲しくなった。

だが、こんなことでへこたれてはいられない。まだ、来日したばかりじゃないか。こうなったら、片っ端からヤクザの組事務所を探し出して、そのドアを叩くまでだ。

しかし実際やってみたら、ことはそう簡単なものじゃなかった。ヤクザ映画に出てくるような、「〇〇組」なんて書かれた看板を掲げた暴力団の事務所なんかどこをどう探してもないのだ。

その日も、朝から足を棒にして歩き回り、もう、こうなったら最後の手段としてポリスステーションに行って教えてもらうしかないか、などと思い始めたときだった。

ふと視線を上げたその先に、デカデカと「〇〇組」と書かれた看板があったのだ。俺は一瞬、読み間違えたかと思い、何度も目をこすってからあらためてその漢字を確認した。間違いなくそれは「組」という漢字だった。立っているところから200ヤード(180メートル)ほど離れていただろうか、その白いビルの屋上付近に掲げられたビルボードは夕日を浴びてキラキラと輝いていて、まるで俺においでおいでをしているようだった。俺はそのビルに向かって一目散に駆け出した。

その組事務所は、確実に10階以上はありそうで、映画やニュース映像を含めいままでに見たどんな事務所よりデカくて立派だった。こんなどデカい事務所が歌舞伎町の中ではなく、繁華街の中心から3マイル(5キロ)離れた距離にあるとは、まったく驚きだ。

俺は建物の前でいったん髪型を整え服のホコリを払うと、一つ深呼吸をしてエントランスの扉をくぐった。

ドアの向こうにはロビーが広がっていて、壁の掲示板には野球チームの試合風景の写真が飾ってあった。よく見ると、選手たちのユニフォームに組の名前が書かれている。なんとこの組には野球チームまであるらしい。しかしさらに驚かされたのは、その奥に受付があったことだ。

(受付がある暴力団事務所……どんだけ近代化されてるんだ)

心の中で舌を巻きながら、俺はカウンターの向こうにいた受付の女性に、静かに告げた。

「私はトミー・ケントです。組長さんに会わせてください」

前髪をきれいにカールさせた彼女が、「ヒッ」と息を呑む音が聞こえた。

「あ、あの、失礼ですが、どちらのケント様でしょうか?」

「?…………」

「所属先か、か、会社名をおっしゃっていただけますでしょうか」

「フリーランスです」

「フリー?」

「フリーランスのヤクザです」

「お、お約束でしょうか」

「?…………」

「アポイントメントは?」

「ノーノー。アポイントメントはありません」

「少々お待ちください」

そう言うと手元の受話器を取ると包みこむように小声でなにかささやいたかと思うと、すぐに二人の制服姿の警備員が現れ、俺を両側から挟み込むようにしてエントランスへと引っ張っていった。はっきりとは覚えてないが、二度と顔を見せるな、今度現れたら警察呼ぶぞというようなことを言われ、俺は敷地の外に放り出された。

けんもほろろに事務所から追い出されたこともショックだったが、暴力団が自分たちの敵であるはずの警備会社に頼ろうとすることが俺には信じられなかった。

いつか誰もが知るような大物になって、この屈辱は必ず晴らしてやる――。

俺は心にそう固く誓いながら、目の前にそそり立つビルの壁面に大きく刻まれた「熊林組」の三文字をまぶたに焼きつけていた。

そう、みなさんもすでにお気づきのとおり、俺が暴力団事務所だと思っていたのは、日本を代表するゼネコンの社屋だったのである。が、そのときの俺はあまりにも無知すぎた。あとになって真相を知ったときは顔から火が出るようだったが、いまとなってはいい思い出だ。