ウンザリなトウモロコシで偶然の出会い

熊林組を追い出され、重い足を引きずるようにして根城のある新宿方面に向かって歩いていると、どこからともなく漂ってきたテリヤキソースの焦げるようないい匂いが俺の鼻腔(びこう)をくすぐった。

そういえば朝からなにも口にしていない。そう思ったら、急に腹が減ってきた。そのへんのコンビニにでも入ろうとそのまま歩いていると、歩道まで溢れ出した大勢の人だかりにぶつかった。どうやら近くの公園でお祭りをやっていて、匂いはそこから漂ってきているらしい。俺は人混みを縫うようにして公園の中に入っていった。

園内をつらぬく歩道の両脇にずらりと並んだ屋台ではさまざまな食い物が売られている。フランクフルトソーセージ、イカ焼き、フライドポテト、たこ焼き、焼きそば、おでん、りんご飴……どれもこれもうまそうだったが、とりわけ俺の気を引いたのは、焼きトウモロコシだった。

言っとくがトウモロコシが食いたかったわけじゃない。最初に言ったとおり俺は、半分トウモロコシ畑の中で生まれたようなものだから、貧乏人の主食みたいなもんで、トウモロコシならもうすでに一生分食っている。だから本当だったら、見るのもウンザリのはずなのだが、そのときはショーユまみれにされて焼かれているトウモロコシが妙に物珍しく新鮮に感じられたのだ。

ぼんやりとその様子に見入っていた俺は、屋台のオヤジの妙にしわがれた声でふと我に返った。

「ちょっとあんちゃんよぉ、そんなとこにボーッと突っ立ってたら商売の邪魔なんだよ。買うのか買わないのか、はっきりしてくんな」

オヤジの迫力に押され、俺は思わず「買います」と答えていた。

300円だか400円だかの代金を払って、焼きトウモロコシを1本受け取ると、俺は屋台の裏手に転がっていた岩の上に腰を下ろし、それにかぶりついた。

甘じょっぱいタレと、コーンの風味が口いっぱいに広がった。あんなに嫌で嫌でしょうがなくて飛び出してきた故郷なのに、なぜか無性に恋しくなってきた。気がつくと俺は泣いていた。たぶん、あのときは心身ともにくたびれ果てていたんだろう。

暗闇にまぎれ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらトウモロコシをかじっていると、すぐそばで人の声がした。さっきの屋台のオヤジだった。あわてて服の袖で涙をぬぐう俺に、オヤジが言った。

「泣くほどうめぇか」

すぐに返事ができず、俺は無言で首を横に振った。

「…………まずいです」

「なんだと、このヤロー」

だが、そのオヤジの声は笑っていた。半笑いってヤツだ。

「どうしたんだよ、若(わけ)ぇもんが……なんかワケでもあんのか」

俺が小さくうなずくと、オヤジは「ちょっと待ってろ」と言い残し、俺が腰掛けていた岩の後ろのほうに回ったかと思うと、ジョロジョロと盛大な音を奏でながら雑草めがけて立ち小便をし始めた。

もうすぐ4月とはいえ、夜はまだ冷え込む。オヤジのシルエットの向こうに、もうもうと立ち上る小便の湯気が見えた。

用を済ませたオヤジが、エプロンの裾で手を拭きながら俺の前に来た。

「おめえ、名前は?」

「トミー・ケントです」

「俺はドサ回りの銀次、通称、ドサ銀だ……で、おめえ、どこの出だ」

2週間ほど前にアメリカから来たと答えると、「ほう」と感心したようにうなずいた

「アメリカ人のヤンキーか……珍しいな」

全然珍しくなんかない。むしろ日本人のヤンキーのほうが珍しいのだと言いかけて、話がややこしくなるのでやめた。

「なにがあった」

たどたどしい日本語ではあったが、俺はそれまでの経緯をかいつまんで説明した。俺の言葉にじっと耳を傾けていたドサ銀が言った。

「そうか、ヤクザになりてえのか」

「はい」

「……おめえ、テキヤってわかるか」

「わかります。ワタシ寅さんの映画、全部見ました」

「おー、そうなのか。それにしてもよく知ってんな」

「あとは『関東テキヤ一家』見ました。菅原文太、テキヤでした。映画では神社の境内で包丁と傘売ってました」

「それそれ。それだよ。俺はそのテキヤだ」

「わかります」

「テキヤは露天商だ。れっきとした商売人だ。ヤクザとは違う。違うが、まあ、同じ穴のムジナみたいなところもある。わかるか、同じホールのアニマルだ」

いま一つピンと来なかったが意味はわかった。

「もし、おめえさえよければだが……どうだい、しばらく俺んとこでテキヤ、やってみる気はないか」

アメリカで稼いだ金はすでに底をつきかけていたし、なんの手応えもなく先の見えない就活の日々で心が折れかかっていただけに正直、心がグラついた。

俺は、頭にハチマキを巻いてダボシャツ姿でトウモロコシを焼いている自分の姿を想像してみた。

無理だと思った。ドサ銀の商売をバカにするつもりはけっしてないが、なにが悲しくて、世界有数のトウモロコシの一大産地から、わざわざ何千マイルも離れた日本までやって来て、夜店で焼きトウモロコシを一本一本手売りしなくちゃいけないのか。俺は『昭和残侠伝』や『網走番外地』のケン・タカクラみたいな、任侠の世界に生きるカッコいいヤクザになりたくて日本に来たのだ。

ドサ銀の好意はとてもありがたかったが、俺は彼の申し出を断った。

「わかった。それならしょうがねえな」

ドサ銀はあっさり折れると、言った。

「ヤクザになるにはな、トウモロコシ焼いてるより何倍、何十倍もつれえことがいっぱいあるぞ。それ、覚悟しとけよ」

「わかりました」

そう返事した俺に、ドサ銀が前掛けのポケットから紙とボールペンを取り出して、そこになにか書きつけながら言った。

「昔、俺んとこで面倒見てたヒロシって若ぇヤローがいるから会ってみな。最近、このあたりじゃあ、ちょっとした顔らしい。ドサ銀からの紹介だって言えばいい……これがヤツの連絡先だ」