どんなシノギで稼ぐ?
手にした湯呑をゆっくりと回しながらとっつぁんが切り出した。
「ユキオの兄貴(組長)から、おめえの教育係ってのを頼まれたんだが、なに教えていいのかさっぱりわかんねんだわ……。とみい、おまえ俺になんか聞きたいことあるか」
大アリだった。いまだから白状するが、あのときはもう任侠とか義理人情とか親子兄弟の絆とか、そんな食っても腹が膨れないようなものは頭から飛んでいた。あんたらにはわかっといてほしいのだけど、あのときの俺はまだ19 歳になったばかりのガキだったんだ。
まったくお恥ずかしい限りだが、まずさしあたってのいちばんの問題はどうやってカネを稼いでいくか、つまりはシノギのやり方だ。
アメリカから持ってきた金はもうほとんど残っていない。俺にいますぐ必要なのはカネ、キャッシュだった。醤油で煮しめた茶色いおかずと、具のない味噌汁に白米という事務所のまかない飯ばっかりじゃなく、たまにはマクドナルドのハンバーガーを腹いっぱい食いたかったんだ。
そのため、どう考えてみても、目の前にいるヤクザを半分引退した冴えないジイサンより、俺に年も近く、英語もしゃべり、肩で風切って歩いているイケイケのヒロシから学びたいというのがそのときの俺の正直な気持ちだった。
「……オジキはこれまでどんなシノギをしてきましたか?」
「そうさなあ……」適当な質問でお茶を濁す俺に、とっつぁんが天井を見上げ遠い目をした。
競馬、競輪、競艇などの公営ギャンブルのノミ屋、野球賭博、裏カジノ、賭場の開帳、チンチロリンからポーカーに麻雀……ギャンブル関係のシノギでやってないものはないくらいだと言う。要するに、とっつぁんは昭和のヤクザ映画によく出てくる典型的な博徒だった。
「昔はどこの組の事務所行っても、暇さえありゃよ、そこかしこで誰かが花札やってたもんだ……」
たしかに、花札はヤクザ映画の小道具の定番中の定番と言ってもいいくらい、何度も見たことがあったが、どうやってプレイするのかは知らなかった。そんな俺の心の中を読んでいたかのように、柳田のとっつぁんが部屋の奥に向かって声を張った。
「おーい、誰か花札持ってこい!」
部屋住みの先輩の一人が持ってきた花札のパッケージを受け取ると、とっつぁんがそれを眺めて嬉しそうに目を細めた。
「おお、これだこれだ。なんと言っても花札は任天堂に限るな」
コンピュータゲームオタクの俺としては聞き捨てならないセリフだった。
「ミスター・ヤナギダ、いま、あなた『ニンテンドー』言いましたね」
「なんだよ、任天堂がどうかしたのか」
「ニンテンドーは、ビデオゲームの会社。花札カンケイありませーん」
興奮のあまり、俺の日本語は相当おかしくなっていた。
「馬鹿野郎! 知らねえのか、任天堂は100年以上も前から花札作ってる花札屋だ」
騒ぎを聞きつけて集まってきた三人の部屋住みに、とっつぁんが聞いた。
「なあ、任天堂っつったら花札屋だよな」
「え、マジっすか」三人が同時に声を上げた。
――任天堂っつったら、ファミコンっすよ。
――ファミコンて、おまえいつの話してんだよ。
――いやいや時代はWiiっすよ。
突然、その場でビデオゲーム談義が始まった。当然そこに俺も加わったわけだが、柳田のとっつぁんは話についていけず、鳩が鉄砲玉〔編集部注:豆鉄砲の間違いです〕食らったような顔をしていた。
要するに、誰も花札をプレイした経験がないということが判明したのだ。が、いずれにせよ、あの「世界のニンテンドー」が、もとはと言えばギャンブルの必須アイテム花札の製造メーカーであったということは、俺にとって驚愕(きょうがく)の事実というヤツだった。
「おめえらなあ。そもそもヤクザってのは、なんでヤクザっていうか知ってるか」
とっつぁんが、トンと湯呑をテーブルの上に置くと俺たちの顔を見回した。
「?…………」
「そもそもは、花札のおいちょカブから来てんだよ」
おいちょカブというのは、自分の手札を合計した数の1の位で勝負が決まる単純なゲームだ。9が最強で0が最弱。ブラックジャックで言えば、9が21(ブラックジャック)に当たる。最強の9は「カブ」で、その次に強い8が「おいちょ」。おいちょカブというのはそこから来てるわけだ。
花札そのものに数字は書かれておらず、それぞれの絵柄に数字としての意味が含まれている。8月は旧暦では枯れススキで月見の頃、9月は菊、3月は桜、この絵札が揃うと一見きらびやかで凄い手のように見えるが、8、9、3それぞれの数字を合計すると20なので0、つまり「ブタ」と呼ばれる最悪の手ということになる。
ヤクザという言葉は、この893を並べて「や、く、ざ」と読むところから来ている。つまり、見た目は派手だが価値のない世間の役立たず、それがそもそもの「ヤクザ」の語源なのだ――。
もうちょっとクールな由来を予想していただけに、とっつぁんからそんな話を聞かされ、俺はちょっと複雑な気持ちになった。が、まあ、それはそれとしてこの花札の一件がきっかけとなって、俺とほかの部屋住み連中との距離が縮まったのは喜ぶべきことだった。