台湾・尖閣有事における米軍への期待が薄れた

しかし──米軍の弱腰は、ただ単に台湾海峡を通らなかったというだけでは終わりません。今回、ロナルドレーガン空母攻撃軍は、中国に対してもの凄く「遠慮」して、台湾海峡どころか南シナ海を北上航行することすら避け、(フィリピンのサンベルナルディノ海峡を通過するという)途轍もない迂回航路を通ったのです。

これまでアメリカは、すでに述べたように台湾海峡を横切ることまでやっていたわけですから、中国がどれだけ嫌がろうとも、そんなことは意に介さず、「航行の自由」と称して、南シナ海をガンガン横切ってきました(中国は、南シナ海は我が国の領海だと勝手に主張しているのですが、そんな主張は国際社会は一切認めない、ということで、米海軍は「航行の自由」を行使して、南シナ海を航行してきたのです)。

それどころか、何とペロシ議長が飛行機で台湾にやってきた時にも、中国側に配慮して南シナ海を通らない空路を通ったのです。

つまり、米国は南シナ海の「航行の自由」を事実上放棄してしまったわけです。

これはすなわち、米国は南シナ海が中国の領海であるという中国の一方的主張を一部認めたことを意味します。

もちろん、米軍は状況が安定化すれば航行の自由作戦を継続するでしょうが、今回の事案を通して、米中間のパワーバランスが、中国が優勢化し米国が劣勢化する方向で変化したことは否めないでしょう。

▲南シナ海が中国の領海であることを一部認めてしまった イメージ:Jun-Ju / PIXTA

第一に、米国がかつては絶対に許さなかった、大規模な中国軍の「中間線」を突破する行為を許してしまった。

第二に、米国がかつては絶対に許さなかった、台湾包囲演習を許してしまった。

第三に、米国が上の第一、第二の中国軍のオペレーションを抑止するために、中国軍の軍事展開が見られたときに、台湾海峡を横切るという米軍オペレーションができなくなった。

第四に、米国がこれまで断固として主張してきた南シナ海の航行の自由を、中国軍の威圧に屈する形で放棄してしまった。

第五に、以上の第一から第四の現実を、中国、米国、台湾、そして、世界各国に知らしめることになった。

これら五つはいずれも、中国軍による尖閣有事、台湾有事が勃発した時に、米軍が出動する可能性が、かつてとは比べものにならないくらいに低くなってしまったことを意味しています。第一から第四の帰結はいずれも、アメリカの弱腰を直接証明してしまっていますし、第五の帰結は、そういう弱腰が既成事実化してしまうことを意味しているからです。

せめて米国に対する「期待」が強ければ、それが米軍出動の動機の一つを形成することになるわけですが、それすら無ければ、米軍が出動する契機そのものが失われたことを意味するからです。

実際、台湾において、中国が攻めてきたときに米軍が出動すると信ずる人は、昨年(2021年)10月の時点では65%でしたが、ペロシ議長訪台後の中国の軍事演習後には44%にまで下落しています(この下落には、もちろん、ウクライナにおける米軍の「弱腰」姿勢も影響しています)。

ちなみに、台湾有事の際に米軍が介入する法的根拠は、アメリカの国内法である「台湾関係法」なのですが、ここにおける米軍の台湾有事への介入は「義務」ではなく「オプション」であると明記されています。この記述は、「一応」は軍事介入が明記されている日米安保条約よりもさらに弱い記述ですから、台湾の人々が米軍に期待しなくなるのも必然だと言うことができるでしょう。

いずれにしても、今回の「台湾危機」によって、米軍の弱腰が白日の下にさらされ、関係諸国が米軍の台湾有事の際の介入を信じなくなった、という帰結は、米国にしてみればいずれも巨大な損失です。

言うまでもありませんが、なぜこうなったのかといえば、それは偏に、米国が中国のことを本気で「ビビり始めた」からに他なりません。米国がビビらなければ、ここまで大きなパワーバランス損失を、中国側に供与することなどあり得なかったのです。

もちろん、こういう状況は中国にしてみれば大変に望ましい状況です。なぜならこれら五つが全て、重大な「既得権」となったからです。中国はこれから、この五つの既得権を前提に、次のオペレーションを仕掛け続けることが可能となったわけです。

これから、中国軍は中間線を跨いだ軍事オペレーションを行うことを常態化させていくことは間違いありません。

それはちょうど、尖閣諸島周辺に中国公船が全く現れていなかった状況から、一度現れるようになれば、時計の針は逆戻りすることなく、どんどんどんどん公船数を増やしていき、今や、日本と同程度、あるいは勝るとも劣らぬ尖閣周辺の実効支配を獲得するに至っているのと同様です。

あるいは、台湾問題については米国は側で指をくわえて見ているということを前提として、中国が台湾周辺海域で実弾を用いた侵略訓練を繰り返すことが可能となったとも考えられます。

さらには、南シナ海の米軍の航行の自由作戦を、時に実力行使もちらつかせながらさらに強く批難・反発していくことが可能となったとも言えるでしょう。

これは、台湾、そして日本にとって最悪の展開です。

これから経済成長率で米国を上回る中国は、台湾海峡における米中軍事バランスをどんどん縮小させていくことは確実です。したがって、そのバランスを逆転させることもまた、必然的未来と考えざるを得ません(もちろん中国一国にトンデモない経済クラッシュ等の不測事態が起これば別ですが、そんなことが起こるとは当然限りません)。

今日のように中国軍の方が米国より劣勢である筈の状況下でもこれだけ多くの既得権を中国は取得できたわけですから、実際に米中の軍事バランスの逆転が鮮明となった時、中国が台湾・尖閣を侵略しない積極的理由は大きく失われることになるのです

※もちろん、台湾海峡を大量の中国軍が渡ることは軍事作戦的に困難な側面はあるのですが、それでも、台湾・尖閣侵略の確率が飛躍的に拡大することは間違いありません。

そう考えると、今回のペロシ氏の訪中は「寝た子を起こす」かのような「やぶ蛇」そのものの振る舞いであった、という実態が見えてきます。いよいよ100年以上の時を経て、かつて「眠れぬ獅子」と言われながらも眠り続けた中国が今まさに、本気で目を覚まそうとしているのです。

ましてや今は、米国はウクライナ支援でロシアと間接的に戦闘状態にあるわけで、かつ、その戦闘は、一朝一夕には終わるとは考えられません。そんな状況下で余裕を失った米国が、もう一つの軍事大国である中国と事を構えるとはますます信じがたい状況なのです。

いずれにせよ、一旦動き出した歴史は元に戻りません。

したがって、あらゆる状況を勘案し、それらひとつひとつを吟味すればする程に、これからますます台湾海峡において中国の侵略が開始されるリスクが高まっていく一方となることは、ほとんど避けることのできない確実な未来のように思えてくるのです。

そしてその有事の時に、今台湾人が急速に現実的に認識し始めた様に、米軍は決して動かないであろうこともまた同じく、避けることのできない確実な未来のように思えてくるのです。

▲台湾・尖閣は中国にされるがままなのか? イメージ:Andreanicolini / PIXTA