停車場で入手したキピヤトーク(湯)

以上、革命思想の三大要素の「博愛」こそが、その基礎観念であると私は信ずるものであり、この基盤の上に立たざる革新思想なるものは結局、エゴや破壊、または闘争以外の何ものでもないであろう。

破壊を目的とする限り、破壊主義者は極端に「平等」を主張すべきである。博愛とか、自由とかは、なかなか民衆には高尚過ぎて判らないものである。博愛にあらずして愛、特に「慈愛」となれば、動物である限り、きわめて容易に理解され得るのである。

ロシア人の無教養をもってすれば、この平等こそは最大の魅力であった。それは肉眼をもって判知し、判別されるものであるから。ロシア革命の指導者は、この「平等」を第一に強調することにより革命に火を放った。

一般大衆は「物質的平等」を頭に描いて、薪を火に加え、扇もて火をあおった。だが革命成功後、人生に、社会に、絶対の「平等」はあり得ないのは明らかであり、それの一時押さえがクラスからカテゴリアへの転移であるに違いない。

私どもの列車は「磨滅」せる軌条の上を、「朽腐」せる枕木の上を、バラスか土か不明な道床の上を走りに走った。

私は、かねて準備した食品を独り楽しく点検し、開缶し、老女の手売りする楊柳籠のなかから、おいしそうなパン数個を買いもとめた。若鶏の丸焼をも入手し得た。これは珍品である。ロシア情緒の第一はそれであろう。夏ならば胡瓜が売られているであろう。

私は、ある停車場でキピャトーク(湯)を入手した。このとき、いかなる金を使ったか。「チェルウォーネツ」であった。その下の単位がルーブルである。私はそれで紅茶をスタカン(コップ)に入れ、角砂糖を加えた。語るに友なき旅ながら、かつ思い、かつ考え、愉快に食事をとることができた。独り旅の楽しさは二人旅の愛よりは遥かに好ましいものというべきである。

私はロシアのキピャトークに感謝する。これは社会政策の第一歩である。停車場の機関車用給水塔の中に熱湯が沸いており、旅客は自由にそれを飲み、かつ携え帰ることができた。湯口の傍らにベズ・プラートノ(無料)と書かれているではないか。

元来、極寒の北部ロシアにあっては、冬季の給水塔は温められなければならない。その余徳を大衆にも分ち与えよ、これがこの施設の始まりでもあろうか。私の旅行は初夏であったから、このキピャトークは駅員によって特別に沸かされたものである。私はこの制度を礼讃する。わが運輸省、国鉄公社において、このような温い施設を示したことがあったか。

わが国鉄では、不明瞭なる時間営業のスピーカーで眠れる旅人の眼を覚まさしめ、不愉快なる音楽で旅客の精神をいよいよ焦立たしめつつあるが、これがサービスなるものであろうか。温湯ならずとも、給水設備を老人婦女子のために車内に設くべしと私は主張する。

それは明らかに「飲料水」としての給水である。この頃、汽車に乗ると客車内に「物売り」が頻繁に来るが、物みな高価であって貧しき我々の欲しいものが何もない。夏季の旅行に際し、老人の欲するものは「清水」である。資本主義的、重商主義的、富者の懐中のみを目的とするごときサービスには潤いがない。

読者よ、「水など」というなかれ。第二次大戦後、敗戦フランスはウィシー政府を通じてドイツに従属したことを記憶する。その政府の首長はペタン元帥であった。ペタンは第一次大戦時砲兵旅団を指揮した将軍であったが、ウェルダンの死闘で、その力量が認められ、ジョフルなどと共にフランスの名将として、また愛国者としてその盛名を馳せたものであった。

ペタンの政府はウィシーにあった。ウィシーはスイス寄りの南仏にある。ここに沸く水が飲料水として世界第一と称せられるのであり、もっとも贅沢な人は、このウィシー水を高価に求めて飲料とする。それを熱湯とするは愚人なりとせられる。

▲ウィシー(ヴィシー)は現在でも水の都の女王と称されている。 イメージ:robin33 / PIXTA

幾多の鉱物が適当に含有されている結果の美味である。このウィシー(ウィシーということだけで、ウィシーの水と解される)は四・五合瓶で、今の日本の金で百円強であろう。

私どもの汽車は、既にバイカル湖畔を過ぎて西走している。列車は薪の力で動くのである。イルクーツク市の辺りでもあろうか。私はシベリア出兵当時、コルチャック援助のためバイカル湖以西に出動した、本庄大佐の率いる名古屋連隊将兵の誰かによって作られた「鴨緑江節」の一節を思い浮かべ、独り歌ったのであった。

アンガラの流れも清き イルクーツク
橋を渡れば 夢の街
霞がくれに 曳くもすそ
ス・ワーミ バイデョム
モジュノ ダー ダー
オチェニ ハラショー

この意味のもつ美的、醜的、情緒の真意に関しては、ロシア語研究の一課題として残しておき、ここに説明せぬこととする。

※本記事は、樋口季一郎​:著『〈復刻新版〉陸軍中将 樋口季一郎の回想録』(啓文社:刊)より一部を抜粋編集したものです。