まさに「無視・賞賛・非難」で育てられた
野村監督の人材育成法、人心掌握術として「無視・賞賛・非難」の三段階を使い分けるというのが有名です。
それは僕も経験しました。無視といっても本当に見てないわけではありません。まだレベルが低い選手の指導は、指導をコーチに任せて自分は見ているだけ。だから「無視」なんです。でも、ちゃんと見てくれているのです。たとえばキャンプで特守をやっている姿を監督は遠目に見ているのです。
これは僕の推論ですが、しっかり見たうえで、コーチ会議で「こういうふうに指導してごらん」という具合に話をしていたのだと思います。コーチの指導の仕方が、ちょっと変わったなと思ったことがありましたから。だから本当は、直接言葉をかけないだけで「無視」はしていない。それどころか、コーチの指導法まで合わせてしっかり見ていたのです。
1段階上がってきて、そろそろ一軍でもやっていけるかなとなったときに「賞賛」、そこでは褒めて伸ばすのです。僕の場合は、ちょうど古田さんが出場できない時期と重なっていました。
古田さんがオープン戦でファウルフライを追いかけなかったため、「あいつは天狗になっている」と試合で使われなかった。古田さんは、このあとで話す「非難」の時期でした。逆に僕はちょうど「賞賛」 の時期で、何をやっても褒められました。打たれても、「まだしっかりと教えてないからいい。これから教えていく」という感じです。
ただ、この賞賛も直接ではないのです。新聞記者を経由して、自分への賞賛コメントがスポーツ紙に載るのです。星野仙一さんもそうですが、「名将」と呼ばれる監督はメディアを使うのが上手。賞賛が、最高にうれしい形で届くわけです。
実際、記事になったときはうれしいものです。古田さんが骨折して僕が試合に出てたときも最初はそうでした。「あんなでっかい数字(背番号の67)を背負ってるから頼りなく見えるけど、たとえば古田の 27 番とかつけさせてみ。それなりに見える」ってコメントしてくれたのです。うれしかったですね。
「お前の指に俺たち全員の生活がかかっている」
対照的に「非難」は直接やられます。一番強烈だったのが、試合前練習での「お説教」ですね。大学野球シーズンは、神宮球場に隣接する球場などで練習をするのですが、呼び止められて、1時間ぐらい立ちっぱなし。主に配球のことです。「サインを出すお前の指に俺たち全員の生活がかかっていることを忘れんな」と。
それは古田さんが骨折して、僕がメインで試合に出ているときでした。もうその時期からは、お説教されることはあっても、褒められたという記憶はありません。サヨナラヒットを打ったときに「よくやった」という一言をもらったのがありましたが、それだけです。
まあ、それが一人前として認めてもらったことだと、僕はそう思ってました。認められているから怒られているんだって。そう思わなければやってられないというのもありましたが……。
次回は、二番手捕手だった僕が、どうして日本ハムに移籍となったかについて語ろうと思います。