ヤクルトスワローズで、ついに二番手捕手の地位に上り詰めた野口寿浩氏。しかし、出場する試合は二軍ばかり。待遇に不満を感じた野口氏は、トレードで日本ハムに移籍し、念願のレギュラー捕手として一軍の試合に出場。ヤクルトで野村監督に教わった配球を活かして…… ところが、この教えがなかなかうまく使えず苦労したのだという。

二番手捕手は一軍にいて二軍戦にも出るのがベスト

1994年シーズンは古田さんの骨折もあり、僕は63試合に出ました。代役のレギュラーで出て、そこそこの成績を残すことができました。それで、変に自信がついてしまったのです。「よそに行けばレギュラーとしてやれる」と。

古田さんからレギュラーを奪って、二番手捕手から脱するのは至難の業でした。なんといっても古田さんは、2年目の1991年に首位打者を獲得、それから毎年のように3割をクリアし、92年にはホームランを30本打っています。それでいて守備もリードもいいのですから。

別の考え方もあるかもしれませんが、二番手捕手は一軍にいるべきというのが僕の考えです。レギュラー捕手に何かあったときに代わりに出るのですから、一軍のピッチャーの状態がわかってなくてはいけませんし、対戦する相手打者の状況も把握しておく必要があります。

そのため二番手捕手は、一軍の状態を把握したうえで、必要に応じて二軍戦に出て、試合勘を養っておくのがベストだと思います。一&二軍ともホームの日程、いわゆる“親子ゲーム”のときなどに、毎日だとさすがにしんどいので初戦と3戦目だけ行って出るとか。そんな形が理想的です。

ところが、二番手の地位を確保したはずだったのに、僕はちょっと違う扱いでした。1995年、春のキャンプとオープン戦が終わり、開幕メンバーの振り分けの段階になって、二軍行きを命じられました。

「試合勘を損なっちゃいけないから試合に出ておけ」と。まあ、そのときはそういう考え方もあるなと思いました。途中で一軍に上がり、試合に出ることもありましたが、点差が離れて古田さんを休ませるときくらいでした。

度重なる「開幕直前に二軍」でトレードを直訴

96年もキャンプ、オープン戦と順調に過ごしましたが、また前年と同じように開幕直前のタイミングで二軍です。今度の理由は「代走で出たとき、初球で盗塁を決められる技をつけて戻ってこい」でした。さすがにそれはおかしな理由だと思いました。

そのオフの契約更改で、トレードに出してほしいと希望を出しました。このときは「まあまあ待て待て」と、背番号を若くしてもらったり、給料が若干上がったりとかで、「我慢してくれ」となだめられましたが、97年も開幕でまったく同じように二軍行きを命じられたのです。ついに担当コーチからは理由の説明もありませんでした。

家に帰り、元コーチでフロント入りしていた方に電話しました。もう3年続けてこんな感じです、と話をしたら「それは納得いかんな。わかった。任せろ」と言ってくれました。

その年は、出場機会を求めて外野も守れるように準備し、実際に試合で外野を守ることもありました。

そして1998年の開幕直前。ヤクルトは諸事情でショートができる野手を緊急補強する必要がありました。一方、日本ハムは正捕手の田口昌徳さんのケガで捕手が手薄。これにより、僕と城石憲之の交換トレードが成立したのです。