本にも書けない伝説のライブとは?

――今ではNSC以外にも、いろいろな養成所があると思いますが、東京NSCの特徴ってなんだと思いますか?

山田 大阪のNSCとも違うものになったのが、東京のNSCなんですよね。この本ではサラッと書いちゃったんだけど、東京NSCってそもそもスタートが横澤彪さんなんですよ。だから、横澤さんが連れてきたテレビ側の方々が講師を勤めていました。スタートの時点で大阪のNSCの講師の方を連れてきていたら、そのあとはガラッと違ったと思うんです。たぶん、横澤さんの“東京的な芸人を育てる”という意識が強かったんじゃないかな。いろいろな人々の思惑や人間関係があって、他の養成所とも違う、不思議な成長を遂げたのが東京NSCじゃないかな、と思います。

※『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』などのヒット番組を手がけた、フジテレビの元プロデューサー。フジテレビ退社後は吉本興業に移り、東京支社長や専務取締役を歴任。

――“ライブ作家”を自称されている山田さんですが、これまでのなかで一番会心の出来だと思うライブはなんですか?

山田 この本にもちらっと書いたけど、グランジの大とやった「お笑い九龍城」ってライブですね。まあ、この本にも内容は濁して書いてるんですけど……(以下、素敵過ぎてとても文字には起こせない企画内容が説明される)

――あはははは! 最高ですね!

山田 めちゃくちゃ楽しかったな。僕は、大と面白がるところが近いんだよね。

――大さんのそういう面が発揮されているのは、グランジファンとしてはうれしいですね。今やっても配信とか絶対に無理でしょうけど(笑)。今聞いて、オールスター感謝祭にビートたけしさんが出てきて、不謹慎なクイズを出題したのを思い出しました。

山田 やっぱり、たけしさん直撃世代で、オールナイトを聞いて、高田文夫さんのやっている放送作家という仕事に興味を持ったから、好き過ぎるなってくらいです。あと、作家になりたての頃は、『タモリ倶楽部』もやりたかったけど、そこにたどり着くまでには、自分の興味ないことも勉強していかなきゃいけない、それは自分に向いてないなと思ったんですよね。

――なるほど。好きなことを仕事にするには、好きなことのなかの“好きじゃないこと”もやらないといけない場面が出てくる。でも、そこを“向いてない”と判断することで、好きなことをやり続ける仕事のやり方もあるということですね。ライブ作家として、昨今のオンラインの配信であるとか、そういうことについてどう思いますか?

山田 やっぱり、ライブっていうのは体験なんです。だから「来てください」としか僕は言うしかない。2つとして同じものがないのがライブなんです。同じ出演者で同じコーナーをやってもぜんぜん違う。この前も「昔ムゲンダイホール出てた人と今ムゲンダイホール出てる人がコーナーで対決するライブ」ってのやったんだけど、無限大のメンバーが力ありすぎてびっくりしちゃった。やっぱり、ほぼ毎日ムゲンダイホールでコーナーやって叩き上げられている芸人のお笑い筋肉がすごすぎましたね。そいつどいつの(市川)刺身とか、マジですげえなって思っちゃったな。

ロンブーはネタも面白かったし、その場の空気を作る天才

――賞レースの審査員を断っているという話も、非常に印象的でした、山田さんを知る方であれば、“そうだろうな”と納得できるというか。

山田 もちろん賞レースは見てますし、審査はしないけど、アドバイスを聞きに来てくれたら答えます。でも、それも例えば、1回戦で落ちる芸人に対するアドバイスと、決勝に行くような芸人に対するアドバイスは違うし、ダイタクとオズワルドでもぜんぜん違う。神保町と無限大の芸人でもアドバイスは違う。ただ、さっきも言ったんですけど、やっぱり自信をつけさせてあげなきゃいけない時代になったな、とは思いますね。昔のように「クソ、この野郎」ってガーッと言い返してくるタイプもいるけど、基本的には伸ばしてあげようって感じですね。

――賞レースを意識しすぎて、というパターンもあるんでしょうか。

山田 ありますね。タモンズもLLRも、今はすごく面白い漫才やってるんだけど、M-1ラストイヤーは正直ボロボロだった、無理にM−1に合わせて自分のフォームを崩すと、自分の型を壊しちゃうんだよね。2組とも、M-1の出場資格がなくなってからのほうが、生き生きと漫才してるよね。

――僕は神保町漫才劇場所属の芸人さんが好きなんですけど、特に男性芸人があまり賞レースでは結果を出せていないような気がしています。

※インタビュー後、令和ロマンがM-1準決勝進出

山田 うーん。お客さんが笑いすぎかな、とは思うかな。沸点が低いというか。そこにいち早く気づいた芸人が上がってくんじゃねえかな……。

――山田さんが見て、こいつはここ1年で伸びそうだなって芸人さんはいますか?

山田 まったく認知されてない芸人なら、ネタはエバース。平場はダントツでブラゴーリ。この2組は、ここ1年でめちゃくちゃ覚醒するんじゃねえかな、と思ってますね。あと漫才は、素敵じゃないか、ナイチンゲールダンス、コントなら11月のリサが代名詞的なネタができたら一歩抜け出ると思います。

――今、作家になりたい子って、もしかすると減ってきてるのかなと思うのですが、そのあたりはいかがですか?

山田 そうなのかな? 一回NSCの講師からも外れてるから、わかんないところも多いんですけど。でも例えば、作家になりたいって思って、自分で面白いと思うことをやろうと思ったら、YouTubeに走っちゃうのかな、とは思いますね。お笑い見て作家になりたいって子にとって、テレビに魅力がなくなってきちゃってる。

ロケもの、トークものばかりだと、コーナーとか、コントとかを考える必要がなくなっちゃうもんね……、僕もあまりテレビ見てないな。アニメとドキュメンタリー、毎回欠かさず見てるのはNHKの『アナザーストーリー』ですね。あとは、芸人とかが「このロケしんどかったんですけど、面白かったんで見てください」って言ってくれたら、「うん、見るね」って返す程度ですかね。

――芸人さんから「見てください」って言われるのもそうですけど、この帯に寄せられたコメントの数を見ても、山田さんが芸人さんから信頼されて、愛されているのがよくわかるんです。だから、表紙に出てくる芸人が、おかずクラブと相席スタートなのも、嫉妬する芸人がいるんじゃないかと……。

山田 (笑)いない、いない! しかも、編集の方が決めたから、それは。

――山田さんが芸人を駒として使っていないのが、このタイトルの「水脈」に表現されている、そこに僕はジーンとするんですが。

山田 やっぱり芸人は大きな資源ですから。「地下芸人」という言葉に抵抗があって、面白い芸人はたくさんいるけど、ただ世の中に知られていないだけ。だから水脈なんです。

――世の中に知られていないだけ。そんななかでも、知られないまま辞めてしまう芸人さんがいるのも、これもまた現実なんだな、と思います。山田さんが、ピンポイントさんに言及したところも、めちゃくちゃ胸を打たれました。

山田 ピンポイントはね、銀7で唯一の正統派東京漫才師だったんだよね。スーツを着てて。あの芸人の解散を止められなかったのは、ちょっと心残りですね。あんまり“たられば”はいいたくないんだけど、あのコンビは、M-1があったらちょっと違ったかもな、と思います。

――最後に、山田さんがライブ作家として一番やりがいを感じる瞬間って、どういう瞬間ですか?

山田 やっぱり、自分の考えたコーナーがウケた瞬間は“してやったり”って思うし、ずっとウケてなかったくだりが、急にウケだす瞬間も、やっててよかったなって思いますね。それは芸人にもあって、今でも覚えてるけど、囲碁将棋がネタ見せに来て、めちゃくちゃいいネタを1本作ってきて、“ああ、もう大丈夫だな”って。その瞬間に立ち会えるのもうれしいです。

――なるほど、そこを意義として話す山田さんが素晴らしいと思います。矜持を伺っている気分で。

山田 最初に、この本を作ったきっかけや動機の話をしましたけど、“ロンドンブーツ1号2号は、ネタのイメージないかもしれないけど、ネタも面白かったし、その場の空気を作る天才だった”という話は、当時現場にいた自分にしかできねえんじゃねえかって思ったのも大きいですね。

――ライブで、ただただ椅子を作って組み立てたっていうエピソード、最高でした。やはり、それも極楽イズムなんでしょうか。

山田 でしょうね。用意してきたものが面白くなかったら全無視で、リアルタイムで作ったものを面白くしていく。作家としては敗北だけど、仕方ないよね、極楽さんを納得させるものが作れなかったこっちの負け。だから、東京NSCでいうと、そのあとの人たちは、先輩からそういう姿勢を学んだと思うんだけど、極楽さんはそれを肌感でわかってたんでしょうね。

プロフィール
 
山田ナビスコ
1969年生まれ、53歳。大学卒業後、カルチャー誌ライターなどを始める。1994年夏、吉本銀座7丁目劇場の求人募集に応募し、座付き作家となる。以降、東京吉本の若手ライブに関わるようになる。キャリア初期にテレビ番組に携わるも、不向きだと感じたため、ほぼ30年の作家人生の大半を若手芸人のライブシーンに注ぐ。現在も年間数百本のライブに携わり、東京吉本所属芸人たちの間ではレジェンド(都市伝説的存在?)としてその名を語られる。