勝つことが最大のファンサービス――野球界でよく耳にする言葉だ。しかし、以前のライオンズは、強くても、スター選手がいても、なかなか観客動員に結びつかないチームだった。球団職員として再スタートした髙木大成は、まずその課題に挑んだ。
何もない状態から手作り、手探りで育てたファンサービス
第1回でも触れましたが、私の球団職員のキャリアは、ファンサービスチームから始まりました。といっても、まだ何もできない私はひたすら試合前にサインをしていました。
今とは違って、かつては試合をすれば常に多くの方が球場に足を運んでくれていたこともあり、ファンサービスという発想自体がなかったといっても過言ではありません。選手は「タイミングが合えばサインをしようか……」程度だったと思います。
ライオンズが「ファン感謝の集い」を行うようになったのは、私が引退した2005年のオフから。それまでは、少年野球教室でした。「野球選手なら野球でファンを喜ばせよ」それが当たり前でした。
私自身、まだ球団職員になったばかりで、右も左もわからず、先輩や上司について行くのに必死の時期でした。ですから、「これは私がやりました」と言えるようなことはあまりありません。でも、西武ライオンズが手探りするようにファンサービスを拡大していく現場で、私も手作りのような作業を懸命に行っていました。
たとえば、ライオンズは2006年にチアリーディングチーム(『BLUE WINDS』、現在は『BLUE LEGENDS』に改称)を結成しました。現在は常設のステージもありますが、当時は予算も人手もなかったので、手作り感いっぱいの移動式の簡易ステージを私が設営したり撤去したりしていました。その姿は、大学のプロレス同好会がリングを設営する姿に似ていたかもしれません。
また、主催カードごとに見どころなどを記した小冊子(MATCH CARD PROGRAM “L’ism”)を発行し、1部100円で販売したりもしました。
球団公式サイトで『TAISEI LABORATORY(大成ラボ)』(※現在は閉鎖)というページをスタートさせたのも球団職員1年目の頃です。それまで、球団関係の情報は発信するばかりの「一方通行」でしたが、大成ラボではファンのみなさんの声やアイディアも聞きました。今思うと、ライオンズにおけるマーケティングの走りのようなものと言えるかもしれません。
そのページを使って、夏休みには子どもたちに向けた夏休みイベントの参加者募集をしました。イベントでは、ボールやバットをスパッと割ったら、断面はどうなっているのか、プロ野球とはどのように運営しているのかなど、夏休みの自由研究になるような、「プロ野球の不思議」をテーマにした話をしたのを覚えています。
その後、メットライフドーム(当時は西武ドーム)の職場見学をし、試合直前にはグラウンド整備を体験してもらったりして、最後に修了証を渡す……そんなイベントでした。
今では珍しくありませんが、西武線にライオンズを宣伝するラッピング電車を走らせたりしたのも、この頃からだったと思います。