プロレス・政治・川口浩探検隊に共通するもの

――鹿島さんの仕事ぶり、ライフワークを見ていると、プロレス・川口浩・政治、全てにおいて、ある種繊細で、ある種面倒くさいものを扱っているなと思うんです。

鹿島 ええ、そうですね。

――これらを扱うときに、なにか心がけていること、気をつけていることはありますか?

鹿島 心がけとか気をつけるとかではないかもしれないんですが、例えば、僕が政治ネタを好きになったのは、プロレスや川口浩とほぼ同じ頃なんです。つまり小学校高学年。父親が買ってきた雑誌『文藝春秋』『週刊朝日』……なんでもいいんですけど、その雑誌のなかには、当時小学生の僕でも読める記事がいくつかあって、田中角栄がどうした、竹下派が分裂したとか、まあ要するに人間関係について書かれているわけです。

そして、同じ頃に見ていたプロレスでは、長州が新日から出ていくとか、新日から分裂して新団体が旗揚げされる、っていうことが行われている。“あ、政治とプロレス同じじゃん!”って気づいて。

――(笑)。たしかに、人間という意味では同じ!

鹿島 そうなんです、やっぱり人なんです。人の欲望、人がどう立ち回っていくか、業界やジャンルは違えど、同じことをやってるんだと思ったら、政治もプロレスと同じように興味を持ったんです。「田中派の鉄の結束」ってプロレスっぽいじゃないですか(笑)。そこから竹下さんが独立して「竹下派七奉行」とか、またいいキャラが出てきて。人を面白がるというのが、まず最初でしたね。

――なるほど。人を面白がることによって、いろいろなものが見えてくるという。

鹿島 最近「政治について話したいんですけど」と聞かれたときに、僕のアドバイスとして「最初は人間に興味を持つだけでいいんじゃないか」と伝えてます。本当だったら政策を論議したり、そこから政治を学んでいくのは正しいんですけど、“あの人とあの人、なんで仲悪いの?”から見えてくることもあるんですよね。政局を馬鹿にして、政策を重視する向きもあって、それはそうなんですけど、やはり人が動いている以上、人に注視すべきだというのは、そこから学びましたね。

――それはプロレスから鹿島さんが培ったものかもしれませんね。

鹿島 まさにそうで、僕は十代から全く同じスタンスで人を見て、自問自答してきたので、自分なりの貯金があるんです。長く見続けてきたから、気をつけて見なければいけないところがわかる。川口浩も、当時はもう学校で馬鹿にされてるわけです。自分はそんな低レベルなものにハマっているのか、というコンプレックスはありつつ、“いや、この番組は過小評価されてないか?”とずっと思っていて、今こうして答え合わせができた。

――ずっと見続けてきたからできることですよね。

鹿島 最近はコスパ、タイパとよく言われますが、小さな頃から見続けてきて、決して無駄なものはなかったと感じています。特にこの本は、昭和の番組を楽しもう、というだけじゃなくて、今のメディア論の話にもなっているんです。ということは、自分なりの視点を持てば、過去の話であっても、今の世代の表現や人々に響く可能性がある、それは皆さんの感思を見て実感しています。

――やはり、その当時の空気感というのは、そこを感じた人にしか表現できない。それにプラスして、今の鹿島さんから鹿島少年へのメッセージにも思えます。

鹿島 人生の疑問というか、謎って誰にもあると思うんですよね。たまたまこういうテレビ番組があって、あれはなんだったんだろうとか。そこのフックというか、引っかかりは絶対、誰にとっても重要だと思うんです。それがテレビに限らず、どんなお仕事であれ、時間がかかってもその謎を解明するというのは大事なことだと思います。あと、この本を昭和のテレビ番組は良かったね、で終わらせたくないんです。

1980年代~90年代を中心に振り返る『プチ鹿島のラジオ19XX』(YBS山梨放送)という番組をやらせていただいてるんですが、たとえば「1999年だんご3兄弟ブーム」を取り上げるとして、それを懐かしむだけじゃなくて、じゃあそこから今どうなってるんだっていう、だんご3兄弟から今を考える番組にしてるんです。

「昔は良かった、今は息苦しい」。そういう論調が結構あると思うんですが、僕は真逆のことをやりたい。昭和にはこういうのもあって、そこから今につながる何かしらのヒントになるものがあるんじゃないか? と思ってます。むしろ“これは昭和時代の話であって”という比較をしてもらえば最高で、であれば“今のテレビもすごいよね”って感じてほしいという思いでやってます。

▲この本は「昭和のテレビ番組は良かったね」で終わらせたくないんですよ

エンタメで“いいもの”をつくる人は・・・

――先程も言ったように、この本には金言がたくさんあると思うんですが、個人的に「視聴率のためにヤラセがあるんじゃない」「ヘビは生に限る」ですね。

鹿島 そうですね。ヤラセなんかは特に「視聴率至上主義の弊害」のひと言で片付けられがちなんですけど、それだけじゃなくて、やっぱりモノづくりだとしたら、現場はいかに面白いものを作るか、そこに向かって走っていっちゃうわけで。もちろんそこをコントロールしなきゃいけない部分もあるんだけども、そこもひとつの情熱じゃないですか。

だから「視聴率のためにヤラセがあるんじゃない」という言葉が出たとき、“なるほど”と思いましたよ。現場の熱を、いかにその温度でパッケージングするかが大事で、そこでしっかり釘を差したり、操縦する人が必要だという話も、“そうだな”と思いました。

――鹿島さんが印象に残った言葉はありますか?

鹿島 これ、番組の加藤プロデューサーも、川口浩さんもそうなんですけど、最後のほうである方が「エンタメでいいものをつくる人っていうのは、はぐれもののボンボン」と仰ってて。

――ああ、はいはい、なるほど。

鹿島 ボンボンだから育ちは良くて、生活の心配はない。でも、エリートコースからはちょっと外れた“はぐれもん”っていう。今って、テレビ局に入る方も有名大学出身のエリートの方がほとんどですよね。でも、当時は今ほどテレビマンっていうのは憧れの職業ではなかったと思うんです。

エリートでボンボンで、でもちょっと外れたやつがテレビ業界に入って、面白いもんを作ろうとしてた。そこに何かしら余裕があったり常識があるから、非常識なものを作れるというか。だから、同じ方が「頭の硬いやつがテレビ作ってもダメ」って仰ってたんですけど、それもひとつの金言なのかなとは思いますね。

――ある方が「川口さんが亡くなってなかったら、ネタバラシの特番をやるつもりだった」と仰ってて、当時としてはすごい攻めた企画だと思いました。

鹿島 あれは、あの当時特有の空気感が生んだ企画かなと思いますね。まさにバブルで、昭和から平成に変わっていくとき。『全員集合』を『ひょうきん族』が破って、そのひょうきん族も終わり、とんねるずさん、ダウンタウンさんが出てきて……時代が確実に変わっていくのを肌で感じてましたから、こういうネタバラシっぽい企画が出てきてもおかしくないかなと思います。

――鹿島さんは川口浩探検隊が残したものって、なんだと思いますか?

鹿島 やっぱり、本当に原始猿人や2つの頭の蛇が捕獲されたら、大々的なニュースになるわけで、でもニュースになってないけど、1時間半、番組を持たせるというプロセスですよね。今なら「いるのか?」となったときに、ネットで検索して「いないよね?」で終わっちゃう。結果がわかったら、そんな旅の行程を見ても無駄だよ、になっちゃう。たしかに、他にメディアがなかったというのも大きいかもしれないですけど、画面の持たせ方、画作り、構成はすごいですよね。ナレーション力しかり。

――たしかに。

鹿島 だから『インディ・ジョーンズ』を見ている感覚に近いんだと思います。音楽の力もすごい、効果的なところで『ロッキー』のテーマ流したり、スペクタクルショーですよね。

――ナレーション書きの話もめちゃくちゃ実用的でした。ディレクターや放送作家になりたい人、全員に読んでほしいくらいです。

鹿島 同じ青でも、いろいろな青がある、とか、目に写ってることと同じことを書いても意味がない、とかね。