“なんかいいな”と思うものが長く愛せるもの

――この連載が「街」をテーマにしたエッセイになったのは、編集者さんからのアイディアだったんですか?

終電 最初に担当のKOさんから言われたのは、東京の固有名詞が出てくるエッセイの連載をしてほしい、という依頼でした。打ち合わせの時点では「毎回異なる街を舞台にする」というアイディアはなかったんですけど、タイトルや連載のテーマなどを決める前に第1回の原稿を書いて出したら、KOさんから「毎回特定の場所をサブタイトルにしていくカタチでどうですか」とご提案をいただいて、そこで方向性が決まりました。

――なるほど、個人的には上京して最初に住んだのが新井薬師前だったので、「沼袋の純喫茶ザオー」の回は特に面白かったです。中央線沿いとは違う、西武新宿線沿い独特の何か“いなたい感じ”というか、絶妙に全部足りてない感じというか……。

終電 (笑)。

――僕にはそれが居心地が良かったんです。ウェブ連載から拝見しているので、こうして本になったときに、すごく丁寧に加筆修正をされているな、と感じたんですが、 改めて読み返してみて、特に思い入れのある回はありますか?

終電 うーん、全てに思い入れがあるんですけど……。

――例えば、自分では自信があったのに、意外とPVが伸びなかったな、みたいな記事であるとか。

終電 それで言うと、私は記事のPV数は把握してないんですが、TwitterでシェアしたときのRTといいね数を見る限りでは、御茶ノ水の回とか、今おっしゃっていただいた沼袋の回は、他の回と比べると、伸びなかった印象ですね。

――それはもしかすると、その土地の魅力に直結していることなのでしょうか……?

終電 いや、今一番需要のあるエッセイって、一言でいうと「生きづらさ」を書いているものだと私は思うんです。なので、『シティガール未満』も社会生活の中で感じる、なんらかの違和感とか葛藤とか、そういうのを書いている回のほうがウケる肌感がありました。

――なるほど。

終電 「沼袋の純喫茶ザオー」は、ただ沼袋で起こった出来事を書いている。「御茶ノ水 神田川の桜」も、花見についての話でしかないので、たぶんほかの回に比べると、反応が薄かったんだと思います。

ただ、加筆修正をしていたとき、私自身はむしろ沼袋とかお茶の水の回のほうが、読み返していて染みることに気がついたんです。生きづらさ的な話って、何年か前に書いたものだと、そこから自分自身に変化があるので、当時の自分とは距離ができていたりするんです。

それに対して、例えば「沼袋の純喫茶ザオー」の、喫茶店の描写とか、常連客の会話とか、そういう「なんかいいな」と思っただけの風景は、今読み返しても変わらず「いいな」と思える。そういう表現こそが、私にとってはより長く愛せるものなのかなと思いました。思い入れのある回はどれですか、という質問の答えとは、少しズレてしまうかもしれませんが。

「思い出に加筆修正することほど勿体ないことはない」

――ちなみに「沼袋の純喫茶ザオー」の、喫茶店の常連さん同士の会話など、ああいうのはメモしているのですか?

終電 メモするときもありますし、記憶に頼るだけのときもあります。

――多くの人にとってみたら、取るに足らないことが、終電さんの目線や手にかかると映画のワンシーンみたいに描かれてしまうのが印象的で、終電さんには日々がどのように見えているのかが気になりました。

終電 基本的に、そういうシーンを探そうと思って生活しているわけではなく、自然と目や耳に入って「なんかいいな」と思ったものを書いています。そこに共感してくれる人ってクラスに1人くらいしかいないと思っているんですけど、ネットや本で、その「なんかいいな」を発表すると、クラスに1人しかいないはずの方々がリアクションしてくださる感覚です。

――なるほど。記憶で書いたとしても、終電さんの中を通って、素敵な表現に変化しているということですね。事実に寄せてるけど事実を上回っている、そんな瞬間がこの本にはたくさんあるんだろうなと思いました。

終電 そうかもしれません。でも、意図的に脚色しないようにする、ということは、エッセイを書くうえで気をつけたいと思っています。このあいだ向田邦子の『眠る盃』(講談社文庫、1982年)に収録された「ツルチック」というエッセイの「思い出に加筆修正することほど勿体ないことはない」という一文に感銘を受けて、そういう意識を大切にしたいなと思いました。ちょっとここは変えたほうが大きい反応がもらえるんじゃないかとか思うことは時々あるけど、脚色せずに書き記しておくことこそに価値があるんじゃないかと。

――いい言葉ですね、向田さんお好きだったんですね。

終電 と言っても、本格的にハマったのは去年の6月くらいからなんです。書籍版『シティガール未満』の加筆修正と書下ろしの作業の期間はずっと向田さんを読んでいました。その影響もあって、御茶ノ水の回が改めて好きだなと思えた部分もあります。美しいものに触れるときにそれを最大限に味わうための工夫やこだわりを綴っているところが、ちょっと向田邦子っぽいかもって勝手ながら思ってます。