二流と二流をかけ合わせれば希少性が生まれる
佐々木 「2003年から2007年ぐらいまでの時期は、インターネット犯罪をちゃんと取材して書く人がいなかったんです。パソコン雑誌やテック系メディアもありましたけど、その記者や編集者は“パソコンの人”で、公式発表とか記者発表しか行かないんです。それが僕の場合、例えばセキュリティ会社が迷惑メールやウイルス事案の発表をしたら、(リリース記事で終わりでなく)実際に事情聴取を受けているような人物に直で取材に行くんです」
IPアドレスをたどり、“迷惑メールの帝王”と呼ばれる人物に話を聞いた。どうやら、彼は裏ビデオで儲けたカネで銀座のど真ん中にビルを買って、そこで若いプログラマーたちに1日に何百万通も迷惑メールを配信させている。「これからはテクノロジーの時代、迷惑メールが儲かる」とどこからか聞きつけて。そんな顛末も記事にした。ちなみに、迷惑メールの帝王はその記事をいたく気に入り、佐々木との仲もしばらく続いたとか。
ここまで深く対象者に接近し、話を引き出せる書き手はいない。佐々木にはパソコン雑誌だけでなく、総合誌やジャーナリズム系の雑誌からも声がかかるようになった。仕事の幅も広がり順調に収入も増えていく、好循環が生まれた。
佐々木は「かけ算だった」と振り返る。
佐々木 「僕は事件記者としても二流、テクノロジー記者としても二流だったんです。事件記者としては、警視庁の捜査一課を担当していたくらいなので、無能とまではいかないかもしれない。でも上には信じられないくらいネタを取ってくる記者がいた。テクノロジー記者としても、アスキーには僕より知識を持っている人が山ほどいたわけです。でも二流と二流をかけると、ものすごく人数が少ないところをとれる。その典型例だと思います」
独立後、このかけ算で業界内でポジションを得ていた佐々木だが、その後「一番やばい状況」が訪れることになる。
ホリエモンより早く有料メルマガを始めた
佐々木 「2008年ぐらいから雑誌が一気に休刊になったんです。気がついたら連載がほぼゼロ、単発の依頼も来なくなった。周りを見てもフリーライターが食えなくなったり、編集プロダクションの社長が首を吊ったという話が聞こえてきたり……」
出版不況前は大手出版社の連載を月に7本ほど抱え、さらに寄稿も含めれば十分サラリーマン程度の収入が得られていたというが、それが枯渇してしまうかもしれない。ここで佐々木はすぐさま手を打つ。ひとつは有料メルマガの配信だ。
佐々木 「2008年から始めました。当時はまだ誰もやっていなくて、僕のあとにホリエモンが真似をしたくらいなんですよ。ホリエモンからは“佐々木さんのメルマガは研究しましたよ”と散々言われました。最初は100人ぐらいしか読者がいなかったんですが、ある時期には1000人台、1500人くらいいったかな。月1000円だったので手数料を引いても月100万円入ってくる。それで十分に食っていけました」
もうひとつが書籍の出版だ。それまでは「月刊佐々木俊尚」というくらいバンバン書いていたが、それを年に1~2冊程度に点数を絞って丁寧に取り組むようにした。
2009年の『仕事するのにオフィスはいらない』(光文社)、『2011年新聞・テレビ消滅』(文藝春秋)にはとくに力を込めたといい、2冊ともベストセラーになった。他に『「当事者」の時代』(光文社)、『キュレーションの時代』(筑摩書房)といったタイトルも同時期に出版。骨太なテーマに取り組んだ。