憧れの女性は『BLACK LAGOON』のバラライカさん

――体を動かすのは得意ですか。

「それが苦手なんです。矛盾しているんですけど(笑)。筋トレとか、走ったりするのは好きですけど、お休みの日になると、基本的に家から一歩も出なくなります。どちらかと言うと出不精。1回スイッチが入ればやりたくなるんですけど、スイッチ入るまでが長いタイプ。運動神経も良くないほうです」

――自分の中に理想の女性像みたいなものがあるんですか。

「陽子は手探りの状況で、1から作っていった感じです。演じるにあたってモデルにしたものはないのですが、普段から強い女性でありたいというのはあります。理想像はアニメになってしまうんですけど、『BLACK LAGOON』というコミックをアニメ化した作品があって、そのなかに出てくる、マフィアのボスでバラライカさんという女性です。

その人がもうめちゃくちゃかっこよくて。叩き上げで、仲間のことを大事にして、とにかく強い。私は永遠の中2病なので、中学生の頃から“バラライカさんみたいになりたい”と、ずっと憧れ、いつも心に宿しています。目上の方と話すとか、新しいところに踏み出すときなど、しんどくなったり、ちょっと怖気づく場面とか、あるじゃないですか。“バラライカさんなら、絶対、こんな日和った気持ちにならない”って憑依させています(笑)」

――小説家デビューしてから、台本の読み方に変化はありましたか。

「“こういう書き方をするんだ”という目線もありますし、台本ってどうあがいても自分の人生観が出てしまうので、“こういうことを考える人なんだ”と思うことも多いですね。第一印象は“なるほど、この人はこういう考え方なんだ”と思います。台本として読むのではなく、その人として向き合うようになったかもしれないです。

ただ役者として、台本を読みこみ始めると、意外とそんなに変わらないです。面白いんですけど、私が役者のときは、脚本の方が求めているような自分、役でありたい。自分がこう思ったからこうしたいというより、脚本の方はこうしてほしいんだろうな、という考え方は以前から変わらないかもしれません」

▲小説を書いてから台本は読むのではなく、その人として向き合うようになった

――お芝居の感想などは見ますか。

「めちゃくちゃ気になります。最近はどの劇団の方もツイッターでタグをつけて、一つに括られているじゃないですか。そのタグをスクロールして見て、自分のことを書いていたら、絶対に、“いいね!”します(笑)。“お、言ってくれてるじゃん!”って。

アイドル時代から、すごく人の目を気にするタイプでした。それが悪い方向に行っちゃったときもあったんですけど、それも最初だけ。今は“こういう意見もあるよ。いろんな意見があるよね”って思うようになって、褒められているものにだけ、“いいね!”を押します」

――メンタル、強くなったんですね。

「いえ、今も昔も全然弱くて。私、自己肯定感がめちゃくちゃ低いんです。まやかしでも、それを上げるためにどうすればいいのかなって、アイドル時代から考えていて。表に出るときは自己肯定感をなるべく高くいられるようにしていたい。私のファンの方は、そこをよく知ってくださっているから、なんでも言葉にしてくれる人が多いんです。“気持ちって目に見えないからさ”とか、私がいつも言っているから(笑)。

その方々のおかげで、なんとか保っていられる状態です。ありきたりな言葉になっちゃうけど、ファンの方々には本当に支えられています。私のファンの方って、人格者が多いんです。その方々が周りから“いい人、推しているね”って言われるように、私も素敵な人でありたいと心がけています。変なプレッシャーになるのではなく、おかげで私もいい人だと思われて、うれしい。頭が上がりません」

コロナの自粛期間に2年かけて小説を完成させた

――卒業して、もう4年ですか。

「アイドル時代は本当に充実していて、やりきったと思って卒業できたんです。ありがたいことに『辞めないで』と言ってくれる人もいて、こんな幸せなことないなって思いながら辞めました。むしろ、辞めてからのほうがコロナもあったりして、どうしようかと思ったけれど、結局、そんな自粛期間でさえも自分を見つめ直す大事な機会になりました。

不安は拭いきれないけど、それはみんなも同じこと。意外となんとかなる精神で、生きています。いろんな方の意見があるし、不謹慎かもしれないですけど、自粛中はとても充実していました。家から一歩も出ず、仕事は全部リモート化。したいことに没頭できて、たまの散歩が格別で。本を書くこともできたし、自分にはちょうどいい時間でした。

そうは言っても、人と触れ合えることでできるお仕事もあるので、そういう面では寂しいなと思うこともありましたし、コロナが終息してきてよかったと思っていますが、あの時はあの時で、自分なりに過ごすことができました」

――その小説を書くきっかけは?

「私の趣味を理解していただいて、『挑戦してみませんか』ってお話をいただいたんです。それでも最初は『できないです』と断っていました。絵が描けても、漫画が描けるわけじゃないですし、文字が書けるからと言っても、小説は違うとわかっていたから、本業の方に申し訳なくて。

畑違いだとはわかっていたけれど、編集の方がすごく素敵な方で、熱意を持って接してくださるうち、やらずに無理って言うのもどうなんだろうと思うようになって、つい『頑張ります』って、言ってしまいました(笑)。2年かかって、ようやく出来上がりました。まさにコロナ期間にできた本です」

――いろんな活動をしていますが、どういう肩書きがピンと来ますか。

「なんでも屋(笑)。よろずやですね。器用貧乏で、小さな頃からなんでも手を出して、途中で飽きることも多かったです。本当に素敵な温かい家庭で、私がやりたがったら母がなんでもやらせてくれて、エレクトーンもギターもやって、塾も通って。一通りやってみたけど、本当に中途半端なんです。15歳から始めた芸能活動が一番続いていて、お金のかからなかったイラストが仕事になったり。

結局、この仕事が向いているのかもしれません。幸せだなと思うのは、絵でもお芝居でも何かを表現しているとき。自分の価値観を提示できるときが、一番没頭できていると思います。アイドル時代は歌やダンスが自分の表現方法で、そこに共感してくれた人がファンになってくれるサイクルだったように思います。表現を介してする、“私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?”みたいなやりとりがすごく好き。私の周りには感想を言ってくださるファンの方が多いので、すごく感謝しています」

▲子どもの頃からいろんなことが中途半端だったが、芸能活動が一番続き向いていると感じる