この夏はぼくにとって大きな意味があった
鳥のさえずりとセミの鳴き声で目が覚めた…と言いたいところだけど、実はほとんど寝られなかった。テッドさんのいびきがすごくて、それどころではなかったんだ。
6時を過ぎた頃に、テッドさんを起こす。そのままにしていたら「なんで俺を起こさなかったんだ!」と怒られると思ったからだ。それにしても、よくこんなところで熟睡できるものだ。
「……お、もう6時か。アンドレ、よく寝られたか?」
「ほとんど寝られていないです」
「そうだろうな、こんな経験したことないのに寝られるわけがない。まあ、慣れればいつでもどんなところでも寝られるようになるから、心配するな」
テッドさん、そうじゃないんですよ…まさか、いびきがうるさくて寝られなかったなんて言えないから、ぼくは頭の中でつぶやくしかなかった。
それにしても、テッドさんはタフだ。3時間ほどしか寝ていないのに、すぐ車を出発させる。朝飯は牛丼屋の朝食セット。ダイエット中ながらも「朝はしっかりと食わなきゃ体が持たん」と、納豆や塩シャケや牛小皿をもりもり食べている。
そして再び運転だ。ぼくが「テッドさん、居眠り運転しないんですか?」と聞くと「3時間寝れば十分だよ」と答える。
なのにぼくは、寝不足と満腹感で再び車が動き出すや、助手席に座ったままこっくりこっくりと寝てしまった。ふと気づいた時にはすでに高速道路を走っていた。
これはしかられるかなと思ったけれど、テッドさんは「いいよ、寝てな」とひとこと。
東北プロレスの人たちって厳しいだけでなく、こういうやさしいところもあるんだな。
登米市は宮城県の北東、岩手県との県境にある。築館インターチェンジで降り、国道4号線をひた走る。
築館(つきだて)もわりと難しい読み方だから、インターチェンジの料金支払い所に掲げられた大きな看板を写真に収めた。テッドさんは、何も言わずに撮らせてくれた。
4号線から398号線に入ると、間もなく市内へ。まだ正午前で、今日の試合が始まるまで7時間近くある。
これから何をするのかわからず、ぼくはテッドさんの隣に座りじっとしていた。言われたことをやるしか、今の自分にはできない。
「アンドレ、宣伝カーのテープをまわしたまま、車の中で待ってろ。集金とチケットの引きあげにいってくるから」
街中のチケットを置いてもらっているところにいって、その売り上げとあまった分を回収するらしい。その間、車を路駐しなければならないから、ぼくが留守番役をやる。
しかも今日開催する興行の宣伝を流すのも忘れない。別にぼく自身は大したことをしていなかったけれど、テッドさんと分担して何かをやるだけでタッグチームを組んでいる気分になれた。
考えてみれば、巡業に出てからというもの何もかもが辛いことばかりだ。いくらいろんなところへいけるとはいえ、自分でも「これはわりに合わないんじゃないか」と思うようになってきた。
だけど、こういう何気ないことがすごく嬉しかったり、楽しく感じたりするのも本当のところなんだ。ぼくは今まで、自分以外の友達と一緒に何かをやるという経験をほとんどしないできた。
もっと正確に言うなら、他人と力を合わせて一つのことをやり遂げる…そんな機会がなかった。いつも自分の好きなものを優先し、殻に閉じこもってきた。それでいいと思っていたんだ。
だけど東北プロレスの人たちと出逢って、そうじゃない世界も知ることができた。それだけでも、この夏はぼくにとって大きな意味があったんじゃないだろうか。
テッドさんが集金を完了させると、ぼくらは今日の会場へと向かった。体育館には、先に選手バスやリングトラックが到着していた。