1990年代には政界で「不要論」が飛び交っていた公安調査庁。しかし、彼らの地道な活動が警察組織の危機を救っていた。それが、JRの支配を狙った「革マル派」と「統一教会、勝共連合」に関わる問題です。長年にわたり極左問題を第一線で取材してきた福田博幸氏が、日本を蝕む「内なる敵=極左」と戦い続けてきた政府機関の真実に迫ります。
情報に携わる組織は複数あったほうがいい
民主的独立国家において、情報に携わる組織は複数存在し、並存することが望ましいというのが筆者の主張です。
1990(平成2)年ごろ、亀井静香衆議院議員が旗振り役になって、政界でさかんに「公安調査庁不要論」が飛び交いました。「公調などつぶしてしまえ」というわけです。
警察出身の亀井にしてみれば「警察に顔が利く政治家」というのは“売り”です。その筋の情報を独占したり、コントロールしたりすることは政界、官界に影響力を持つには便利な手法だからです。逆に、自分の影響力がおよばない公安調査庁のような情報組織は亀井議員にとっては都合が悪かったのでしょう。
しかし、情報組織がひとつしかなく、独占状態になってしまうと、戦前の軍部のように「組織が暴走する」事態になりかねません。また、何より「誤った情報で動いてしまった場合」に修正する手段がありません。それでは、国の安全を判断する事態においては“破滅の道”を進むことになります。
情報に誤りがあれば、素早く修正できる体制を整えておかなければなりません。そのためにも「情報に携わる組織は複数あるべきだ」と筆者は一貫して主張し続けてきました。
JR革マル派問題を追い続けた公安調査庁
複数の情報組織が存在していたおかげで、難題をなんとか切り抜けられた事例を2つ紹介します。
第一の事例は、JRの支配を狙った「革マル派問題」です。
国鉄分割民営化とJR発足に際し、革マル派が支配する動労は、それまで国鉄民営化反対の立場から「偽装転向」を行い、民営化に積極的に協力するようになりました。革マル派の狙いは、民営化に乗じて労組によるJRの支配体制を確立し、全国を網羅する交通機関を“乗っ取る”ことでした。
また、その「偽装転向」を正当化したのが、警察庁警備局長経験者であり、“公安のエース”として知られた柴田善憲でした。
警察組織は徹底した“縦社会”です。かつての上司が「転向は本物だ」と太鼓判を押せば、部下だった現役の主要幹部たちでも反論はできません。彼らがいっせいに柴田発言に迎合したことで、警察の組織としての思考は停止してしまいました。
その結果、警視庁公安部の革マル派担当部署は人員を縮小され、“解体寸前”にまで追い込まれたのです。こうなると、縦社会組織の欠陥で、警察自体で組織を立て直すきっかけとなる“何か”を待つしかありません。
柴田の革マル派擁護の言動が、革マル派に“弱み”を握られてのものだったことが判明するまでに、じつに10年もの歳月がかかりました。いわゆる「空白の10年」です。この間、革マル派は“非公然部隊”を操り、会社の経営陣を恫喝しながら、自由自在に暗躍。JRを完全支配したうえでの政治体制転覆を目指しました。
この「空白の10年」の期間、一貫して革マル派の動向を監視し続けていたのは公安調査庁でした。
警察と異なり、彼らに「逮捕権」はありませんが、幅広く企業関係者や労組員などに接触して、地道に情報を集めていたのです。
公安調査庁の特異性は、幅広い情報収集の手法と、一元的な情報分析手法にあります。同庁職員たちは、JR各社の労組を革マル派が支配していった工程を細かく分析し、組織全体の動向を掌握していました。
JR革マル派問題では警察の空白期間を完璧に補完し、警視庁公安部の劇的な“ガサ入れ”(1996〈平成8〉年から1998〈平成10〉年にかけての革マル派アジトの連続摘発)実現にまでフォローできたといえます。
公安調査庁のフォローがなければ、革マル派のJR乗っ取り工作は完全に成功していたことでしょう。今ごろは首都圏の通勤電車や新幹線が当たり前のようにストライキで停止するなど、“交通麻痺が頻発する”事態になっていたかもしれません。
当時、警察組織を補完し、JR革マル派問題を「重要案件」として官邸に報告できたのは公安調査庁だけでした。