中章:ヤンキースvs.ジャイアンツの一騎打ち

いざオフシーズンが始まると、ヤンキースとジャイアンツともにジャッジ選手に猛烈なラブコールを送り始めます。11月の早い段階から交渉を開始し、提示した契約額も3億ドル付近から始まり、11月末にかけて徐々に上がっていきました。

そして現地11月21日には、ジャッジ選手がジャイアンツの本拠都市サンフランシスコで目撃されました。

メディアの方に「サンフランシスコへ何をしに?」と聞かれ、「家族に会ったり、まぁいろいろ」と苦笑して濁しながらも、直後にはジャイアンツと会ったという報道も出回り、ジャイアンツとジャッジ選手の交渉が着実に進んでいる様子が見られました。

そして12月に入り、現地4日よりウィンターミーティング(毎年球界関係者の大半が集う大規模イベント)が開始しました。例年、ここで多くのFA選手が契約交渉を大幅に進め、日程内に合意することも多く見られるので、ジャッジ選手も同様の動きが期待されていました。

その期待どおり、現地6日にはジャイアンツが3.6億ドル規模の契約を提示したことが報道されます。

このとき、ヤンキースの提示額は詳細が不確かながらも3億ドル程度とされていたので、ここで初めて両チームの提示額に大きな乖離が生まれます。ヤンキースファンの筆者も、当時これを見て「これはまずい」と寒気を覚えたのが未だに鮮明な記憶です。そしてターニングポイントが訪れます。

意図せぬ助太刀の登場

ヤンキースの歴史を変えたツイート。それはヘイマン氏がニューヨークを救ったと言っても過言ではないでしょう 。

「アーソン・ジャッジがジャイアンツと契約をしたようだ」
……ヤンキース、終焉。お疲れさまでした……と絶望していた矢先に

「ごめん間違えた」

おい!

というわけで、誤報でした(笑)。前述のツイートも削除をされたので、今となって残っている痕跡はスクリーンショットのみです。ヘイマン氏というかなり著名な記者が出した情報だったので、一瞬、ジャッジ選手のニューヨークから流出&ジャイアンツ入りが球界に波紋が広がったものの、「なーんだ」で終わりました……というわけでもありません。

このニュースはヤンキースの首脳陣にとって寝耳に水だったので、チーム中が大混乱に陥ってしまいます。FAであるとはいえジャッジ選手の心はニューヨークにあるという、ある種の安心感があったとのことでしたが、誤報とはいえジャッジ選手の流出を一瞬でも味わったことによって、一気にその現実味を感じることになったのです。

ヤンキースが提示をしていた契約は8年3.2億ドルだったようですが、ジャイアンツの3.6億ドルからは4000万ドルもかけ離れている状況でした。「このままでは本当にジャイアンツに取られてしまう」ということで動き出したのが、チームのオーナーであるハル・スタインブレナー氏。このとき、スタインブレナー氏は出張でイタリアにいたのですが、緊急ということでジャッジ選手へ直接電話をかけました。

「きみはヤンキースにいたいか?」

「ええ」

「何が欲しい」

「せめてジャイアンツのオファーをマッチしてほしい」

「わかった」

アーロン・ジャッジ、ニューヨークへお帰り!