新喜劇の先輩たちにアピールするために

――それまでバレエ一筋だった松浦さんとしては、バレエでは生きないと決めたときはかなり悩んだんじゃないですか?

松浦 それが意外とスパンと決められたんです。というのも、バレエってすごいことなのに、日本では職業として成り立ちにくいというのがあって。やってきたはいいものの、これからどうしたらいいかのかわからなかったし、体型とか身長とかを考えたら自分には無理だというのは中学生くらいには気づいていたんですよ。

もちろん、長いあいだ続けてきたからこそ、やめたあとの将来がどうなるか怖かったですが、芸人としての楽しみのほうが大きかったですね。

▲バレエあるある「自撮りを加工しすぎてSNSで別人の先生おる」

――それから吉本新喜劇のオーディションを受けたんですよね。バレエを芸にすることに対して、当時の反応はどうだったんですか?

松浦 最初は、これほどまでにバレエを前面に出す予定はなかったんですよ。オーディション受けたときも、まさか受かるとは思ってなくて。いざ入ってしまったあとに、自分の武器がバレエしかないことに気づいんたんです。なので、肩書きを作ることから始めようと、先輩たちに“バレエできます”というアピールをした結果、知ってもらえるようになって、舞台に立たせていただけるようになりました。

でも当時は、普通の女の子が出てきて、バレエを披露して周りが衝撃を受ける、みたいな使い方をしてもらっていたので、お客さんからは笑いのウケというより、驚きのほうが大きかった気がします。お笑いを見に来ているのに拍手をもらうって……どうなんだろうとずっと思っていましたし。

実際に、新喜劇のファンの方からは「何しに来てんねん」みたいなことも言われて。でも、舞台に出ると“誰や、この子?”みたいに注目されることは多くて、手応えこそなかったけど、大きな反応はいただいていましたね。

――松浦さんが思うターニングポイントはありましたか?

松浦 いっぱいあるんですけど、辻本茂雄さんとすっちーさんという2人の座長の存在は大きかったです。辻本さんが茂造というキャラクターをやっているのですが、当時はダンスシーンが多い新喜劇をたまたまやっていた頃で、私のことをすごい可愛がってくださって、いろんなところに使ってくださったんです。

そのあと、すっちーさんが「舞台で回るのが面白い」と言ってくださって。私はそれまで回ることが面白いと思ってなかったんです、すっちーさんに言われて気づかされました。そして「回ったあとに、一言ありえへんこと言ってほしい」と言われて、披露したら大ウケしたんです。そこで最初の衝撃というか、こんな使い方あるんだと驚かされました。

これまでずっと自分と戦い続けてきました

――今では好意的に受け入れられていると思うんですけど、当時は反対意見も多かったのではないでしょうか?

松浦 ありましたね、とんでもない数がありましたよ。お笑いファンには「お笑いとして何も成立しない」みたいな感じで言われるし、バレエ界では「ふざけた女おるぞ」みたいなことも言われて。とにかく、いろんな方面から批判の嵐でした。

そのタイミングでYouTubeを始めたんです。あるあるを作って経験者から共感を得て、下地を作っていこうと思って。その土台作りでも、誹謗中傷的なのもたくさんもらいました。でも、それを活力にして、この人たちをどうやってひっくり返せるかな、ということを考えてやっていましたね。間違ったことはしてないつもりだったので、反応があることがうれしくて戦っていました。

――松浦さんって、とてもポジティブですよね。

松浦 そんなことないですよ。全部作っています(笑)。それなりにグサッとはきますけど、最初は注目されることが大事だと思っていたので、もう必死でした。ずっと自分と戦い続けていたという感じです。何くそ精神しかなかったというか、この人たちがいつかひっくり返るのが楽しみだなと思いながらやっていました、ツラかったですけどね。

――実際はネガティブな側面もある?

松浦 めっちゃネガティブです。でも、悩んでる人たちを食いつかせるには、悩む心を知らないと気持ちを動かせないと思うので、結果的には私の根底にあるネガティブな部分が共感を生んだんじゃないかなと思います。

――物事を前向きに考えられずに悩んでる方って多いと思うんですけど、そうした方に松浦さんがアドバイスするなら、どんな言葉を伝えますか?

松浦 私も悩み症なんですけど、落ち込むときって誰かと比べてるからだと思うので、まずは一度、携帯を置いてみるのがいいんじゃないでしょうか。何か比べる要素があるものを遮断してみて、現実を見るというか、自分と向き合うことに専念するのがいいと思います。