鉄人からの言葉
張り手がいとも簡単にかわされると逆にビンタを顔にもらい動きが止まったところへハイキックが後頭部に飛んできた。ぼくは、自分がダウンしたことさえわからなかった。気がつけばテッドさんの数えるカウントが聞こえ、無意識のうちに上体を起こす。
とりあえず10カウント前に立てたようだったが、すぐにハヤト先輩は襲いかかってきて、どてっ腹へのヒザ蹴りを食らいぼくは再び崩れ落ちる。息がつまり口をパクパクさせていると、今度は腕で首を絞める技・スリーパーホールドにとらえられた。
十数秒間耐えたが、脱出するまでにはいたらない。すると「なんだ、動けねえのかよ」とばかりにハヤト先輩は自分で技を外し、先に立ってぼくが起き上がるのを待つ。
フラつきながら中腰になったぼくは、両腕を開いて「来てみろよ!」と挑発するハヤト先輩の胴にタックルでぶつかっていった。その勢いで倒せたが、次の瞬間には体を入れ替えられ、馬乗りの体勢から張りまくられる。
まだ意識はあったが、ハヤト先輩が攻撃をやめて再び立つとテッドさんがストップをかけた。どうして止めたんだ? ぼくはまだ気を失っていない。
ハヤト先輩も、なぜ途中で張るのをやめたのか。そのまま続けたらぼくをノックアウトできたはずだ。
「1分23秒、レフェリーストップにより秋山ハヤト選手の勝利です」
一方的に終わった試合。決まった直後は言葉を失ったお客さんも、ハヤト先輩の手があげられるや「すごかったぞー!」と声を飛ばし、拍手していた。普段の東北プロレスのカラーとは違う闘いでも、受け入れられたようだった。
ぼくにとっては、これが今現在のプロレスラーとしての実力なんだ。頭のてっぺんからつま先まで、痛みを通り越し火であぶられるような熱さが包み込んでいた。
倒れ込んだままのぼくの視界に、一本の腕が伸びてきた。テッドさん? それともセコンドについてくれた菅本先輩?
「ほら、立てよ」
ハヤト先輩だった。ぼくが震える右腕を顔の前にやるとそれを握り、立たせてくれた。
「おまえ、よえーな。いくら体がデカくても、プロレスはそれだけじゃやっていけない。強くなれよ。強くなって、いつか東北プロレスに帰ってこい。俺はおまえのことを待っているからな」
「ハヤト先輩!? どうしてそのことを…」
「昨日、社長たちと話しているのが控室前の通路まで聞こえてきたんだよ。俺しかいなかったからよかったけどな。だから知っているのは俺までだ。おまえが東京へ帰る前にやっておきたいと思って、ああやってカードを変えさせたんだ」
「そうだったんですか…」
ハヤト先輩は、ぼくが小学生だとわかったから失神するまでは殴らなかったんだ。どんなにデカくて、体力があってもダメージを受ける肉体は大人になっていない。
たぶんすべての技を、手加減してくれていたはずだ。100%の力だったら、最初のハイキックで終わっていた。テッドさんも、それをわかった上でストップをかけたんだ。
「今のおまえは、2分も闘えない。でも、もっと大きくなってもっと強くなれば、もっと闘えるようになる。帰ってきたら、もう一度俺と闘おう」
そう告げると、ハヤト先輩は先にリングを降りていった。3試合経験して、3試合ともぼくはバックステージへ戻るや通路で倒れ込んだことになる。あとを追ってきたテッドさんが「ほら、大丈夫か? おい」とほほを軽く叩く。
その隣で『週刊プロレスラー』のおじいちゃんカメラマンさんがシャッターを押し続ける。記者の松島さんの姿がないのは、ぼくが「ウゴー」としか言えないのを知っているからだろう。たぶん、ハヤト先輩のコメントをとりにいっているはずだ。
無言でうなずくぼくを確認したテッドさんは、次の試合を裁くためにアリーナへと戻っていった。焼けるような全身に、ひんやりとした床が心地いい。しばらく横のままいると二人だけになったからか、カメラマンさんが話しかけてきた。
「名前、アンドレっていうの? 大したもんだねえ。まだ入ったばかりなのに、あんなに応援してもらって。選手たちもかわいがっているのがわかるよ」
「……ありがとうございます」
「この団体の選手はね、みんな子どもたちに元気と勇気と夢を与えているんだよ。だから、そんなプロレスラーになりなさい。じゃあ」
体は二回りぐらい小さいけれど、寝た状態でカメラマンさんの背中を見つめるうちにじいちゃんから誉められたような気になった。見せたかったな、プロレスをやっているぼくの姿を。それともやっぱり怒るかな。
まだ全身の痛みで動けずにいるうち第2試合が終わり、またテッドさんがぼくのもとへやってくる。「いつまで寝てんだ!」とどやされながら、先ほどカメラマンさんに言われたことを告げると…。
「そうか、石川さんにそんなことを言われたのか。よかったな、おまえ。あの方はプロレスマスコミ界のベテランカメラマンで、ウチが旗揚げした時から毎週のように重いカメラバッグを背負いながらやってきている、東北プロレスの生き証人なんだぞ。言うなれば…鉄人だな」
ぼくが生まれるよりも遥か前からプロレスを撮り続けているという鉄人・石川さん。もしかするとむかーし昔、じいちゃんの試合もカメラに収めていたのだろうか。