あなたは、1年後、どんな自分でいたいと思いますか? では5年後は? 10年後は……? 自分の人生を思った通りに生きるためには、まずは頭の中に未来予想図を描くことが肝心です。そのためにどんな道順をたどればいいかを、明確にすればよいのですから。

しかし、このとき自分に何ができるかだけでなく、「何ができないか」を見極めることが大切だということに、いったいどれだけの人が気づいていることでしょう。「どうせ自分はダメだから」などと目をそらすことなく、きちんと自分自身を直視することこそが、「なりたい自分になる」ための秘訣だと精神科医の藤野智哉氏は言います。

※本記事は、藤野智哉:著『あきらめると、うまくいく』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

媚びることは「コミュニケーション」ではない

「媚びる」とは、相手に気に入られるために、相手が喜びそうなポイントを素早く察知することで相手の機嫌を取ろうとする行為です。

本心とは違った言動で誰かに媚び、自己嫌悪に陥ったという苦い経験を持っている方もいるでしょう。

それでも媚びてしまうのは、その相手が持つ権力、名声などを眩しく感じているからです。相手の意見に同調することで、その威光を自分の目的を達成するため、あるいは日常生活を円滑にするために利用しようという下心があるからです。

媚びることを「コミュニケーション」だと勘違いしている人も多いようです。上司だけでなく、女友達、スクールカースト上位にいるクラスメイトに対して媚を売ったことがあるという人もいるでしょう。

仲良くなりたい人に対してはお世辞を上手に使う人がいます。ときには、明らかにお世辞だとわかるようなことを言っても、言われた相手は悪い気はしないようです。

媚びる人は、親しくなりたい人に対して、意見や行動をできる限り相手に合わせ、本音と建前を上手に使い分けています。

媚びることは「コミュニケーション」ではない イメージ:PIXTA

しかし、それは自己満足に過ぎないとしたらどうでしょうか。媚びた相手の頬が瞬間的に緩んだとして、実は心の中で媚びた人間を軽んじていたり、鬱陶(うっとう)しいと思ったとしたら?

相手がどう思おうが気にしない、を貫く

繰り返しになりますが、「媚びる」という行為は相手に嫌われたくないという気持ちの表れです。相手が攻撃してくることを無意識に防御する行動ともいえます。

なぜ相手が攻撃してくるのか。その根本を解決しないまま、相手に媚びることで、知らず知らずのうちに相手のペースにハマってしまっているのです。そこには自発的なあなたの姿はありません。

また、媚びることが染み付いている人は、立場が下の人間に対しては、威圧的に振る舞うことがあります。ある意味それは、媚びることを強いているともいえます。人に対して気に入られるような振る舞いは、やがて習慣化して、相手からもっと強い刺激を求められることもあります。

なぜなら、媚を売られることに慣れた人は、それ以上の刺激がないと満足しないからです。麻薬と同じで、永遠にその心地よさから抜け出すことはできないのです。

媚を売る側も継続的に媚び続ける必要が出てきてしまい、すり減り続けます。

疲れたからといって、媚びる行為をやめるわけにはいきません。なぜなら、媚を売られる側は、もうその状況を当然と考えるようになっているからです。前触れもなくお世辞がなくなったら、裏切られたと感じるでしょう。最初から媚を売らなければよかった、と思ってもあとの祭りなのです。

一方、媚びるという行為は、実は相手の心の中にズケズケと入っていく不躾な行為ともいえます。私があなたのことをこれだけ持ち上げているのだから、あなたも私によくしてよ、という考えが見え隠れしています。

しかし、もしあなたが本当に相手を尊重していたら、そんな行動には決して出ないのではないでしょうか。

あなたが自分らしくいるためには、相手がどう思おうが気にしない、という態度を貫くこと。媚を売って誰かの歓心を買おうとしなければ、あなたはきっと自分らしい人生を送れるはずです。