落合さんに話しかけられたときに感じたこと
――鈴木さんが一番影響を受けた人や作品はありますか?
鈴木 作品としては二つあって、一つは沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』(新潮社)です。この作品からは、取材者が見たことをどう書くかということ、取材者が登場人物になるというのはどういうことなのか、という点で影響を受けました。
もう一つは、アメリカのジャーナリスト、ゲイ・タリーズの「フランク・シナトラ、風邪をひく」という短編で、ニュージャーナリズムの古典と言われてる作品です。タリーズがシナトラにインタビューをしようとしたら、風邪をひいてるという理由でキャンセルされたんですけど、彼はインタビューできない代わりに、関係者100人くらいにシナトラについて取材したんです。さらには、別の日にシナトラが飲んでいるバーに出向いたり、レコーディング現場に入ったりして、近くで観察するんです。そうして、シナトラを直接取材することなく書き上げた作品なんです。
――すごい成り立ちの作品ですね、しかも面白そう。
鈴木 シナトラにインタビューしたら、そこで話したシナトラからの言葉でしか表現できないけど、この作品ではいろんな角度からシナトラを捉えられるんです。そうすると、僕はシナトラに会ったこともないのに、彼のインタビューを読むより、よっぽど人物として立体的に浮かんできたんですね。いわゆる世間的なイメージのシナトラではなくて、“本当はこういう人間なんだな”というのがとてもわかって。僕にはそれがすごく腑に落ちたんです。この作品は書き手として、とても影響を受けてますね。
――なるほど。本人だけに話を聞くよりも、いろんな人の目から、その人のことを捉えたほうが本質に迫りやすいかもしれませんね。今のお話を聞いて思い出したのが『嫌われた監督』で、鈴木さんがドラゴンズの練習を見ているときに、記者が溜まっているところとは別の場所から練習を見ていて、ほとんど話したことがなかった落合監督に話しかけられたというエピソードです。
ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか。『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』より
このエピソードがすごく好きなのですが、さまざまな視点から見ることの重要さを、先達の作品を通して知っていらしたんですね。
鈴木 落合さんに言われたときに感じたのが、取材って聞くことより“見ること”のほうが大きな材料を得られるということです。例えば、いま注目の選手に1時間もらってインタビューするよりも、その選手が球場に行くまでの10分を一緒に歩いたり、どういう準備をして、どうやって球場に行くか、そういうことを観察するほうが書く材料になると思ってます。
本人の言葉を信じてないわけではありませんが、自分もそうですけど、インタビューでは“言葉を受け取ってもらいたい人”を無意識に想像してしまう。だから、立体的ではなくなってしまうんですよね。
竹原ピストルさんの「怒り」から活力をもらってます
――座右の銘や大事にしている言葉を教えてください。
鈴木 最近は自分に対する「怒り」を大事にしていますね。“事を為す”ことの根源って、突き詰めれば「怒り」なんじゃないかなと思うんです。前沢さんが逆風を受けても突き進んでいったのは、幼少期に鬱屈したものがあったんじゃないかと思って、コンプレックスを掘り下げて聞いたんです。
そのときに出た話が、この作品の冒頭に書いた家庭の話だったんです。あれは、やっぱり「怒り」だと思うんですよ。なんで俺はこうなんだ! という「怒り」。それって、すごく大事なエネルギーだけど、仕事に慣れていくと忘れていくものでもありますよね。でも、絶対に失くしてはいけないものでもあると思っています。
――鈴木さんの作品には、ご自身が悔しかったこととか、疑問に思ったことを包み隠さずに書いているので、そこに共感していたのですが、それも「怒り」につながるのかもしれませんね。これまで多くの方を取材してきたと思うのですが、お会いしたい人っていらっしゃいますか?
鈴木 もうダントツで、竹原ピストルさんですね。
――えっ! それはまた意外な感じ。
鈴木 僕、数か月に1回は竹原さんのライブを見ていて、見るたびに力をもらってます。このサブスクの時代に、あの方は週3回くらいのペースでライブしてるんですよ。「ライブライフ」っておっしゃってますが。実際にライブに行くと、ブレスというか、息を吸うときの音がすごいビンビンくるんですよ。それを聴きに行ってるようなものかもしれないですね。それに、それこそ1曲1曲に「怒り」がありますね。
――今後やってみたいことってありますか?
鈴木 ノンフィクションでは書けないことを書いてみたい、という気持ちはありますね。
――それは小説ということですか?
鈴木 そうですね。フィクションということにはなると思います。でも、僕はフィクションとノンフィクションの垣根って、そんなに意識してないんです。ノンフィクションで書けないことをフィクションで書けばいいんじゃないかなと思ってるくらいで。それはいずれやってみたいですね。