決戦を前にトレーニングを通して気づいたこと

主戦場となってきたミドル級は、全17階級のうち5番目に重いクラスにあたり、現代のボクシング界で最も競争が激しいと言われる階級だ。村田はその「最激戦区」において、文字通り世界のトップに君臨するボクサーと拳を交えている。2022年4月9日、ゲンナジー・ゴロフキンとのWBAスーパー・IBF世界ミドル級王座統一戦だ。

お互いが持つ、2本のベルトが賭けられ「日本ボクシング史上最大のビッグマッチ」とも称されたこの一戦に挑むにあたり、村田はスポーツ心理学者の田中ウルヴェ京氏とのメンタルトレーニングを行っている。

「そもそものスタートは、メンタルトレーニングというものを机上だけで終わらせてしまったらもったいないな、という思いだったんです。これからメガマッチに出ていく選手についての心理面を、実際のトレーニングにおいて“ちゃんとした記録をとったほうが、今後のためになるんじゃないですか”と京さんと話しました。だから、むしろ“研究からスタート”みたいな感じでしたね。本にするつもりもまったくなかった」

この半年間にも及んだ田中とのトレーニングの様子は、今年4月に出版された著書『折れない自分をつくる 闘う心』(KADOKAWA)に綴られている。この本にはトレーニングを通して、試合当日までの彼自身の心境が細かに記録として残されている。

「自分の気持ちに気づきやすくなりましたね、細かい心の変化などにも。むしろ、気づかなくてもいい部分までという、要らん能力を得てしまった気さえします(笑)」

本の内容の大半を占めるメンタルトレーニングは、村田の問いかけなどに対し、田中が答え、またはその逆といった、両者のメッセージのやり取りが連続している。一つ例をあげれば「楽しい、うれしい、ありがたい」という3つの感情を、それぞれ掘り下げていくという内容のものがある。

「例えば、(机にあったペットボトルのお茶を手に取り)お茶をもらえたらありがたいじゃないですか。また、親切なことをされるとうれしいですけど、これは“楽しい”というのとは違うじゃないですか。意外と楽しいというのがないんですよ。けれど、“今日は楽しかった”という一言だと、それで終わっちゃうんです。だから、この“楽しい”ということを探すのが僕の中では面白かったですね。

どういうときに楽しいと感じるのかというと、自分から何かを探求したいとか、例えばボクシングでは“これって、こういう打ち方だけど、こうしてみるか”と思ってやっているときは楽しいんですよ。自分で考えて自分で深掘りしているというか」

身近に思えた感情が、日常生活のなかでは意外なほど見つかりづらいものであり、さらに自分と向き合い、気持ちを紐解いていくなかで答えを見出していけたことも、このトレーニングの効果だった。

「僕にとっての楽しいって“アクティブな行動だな”と思ったんですよ。自分からアクティブに動く、自分が主体で動けているということが大事だった。そうすると、日々の生活でうれしい、ありがたいはいっぱいあるけど、楽しいは意外と少なかったと感じました。これは本当に良い気づきでした。

やっぱり、結局は内面と向き合うことだったんです。そうすることで、自分が今どういうふうに考えているかということに気づく癖ができたので、それは変わったところですね。若干、面倒くさくなるほど(笑)、ポジティブな面や気づかなくてもいいところにも気づくようになりました」

ボクシングキャリアで最も誇れるもの

村田本人も「最強の相手」と評するゴロフキンというボクサーへの思い、試合に向かう覚悟や意気込み、さらには恐怖とも捉えられる言葉も、田中とのトレーニングでは散見されるが、最も村田の葛藤があらわれていたと感じた事象がある。

実際の試合は2022年4月9日に行われたが、本来であれば前年末である2021年12月29日に予定されていた。しかし、試合1か月前になり新型コロナウイルスのオミクロン株が感染拡大したことで、外国人入国禁止という措置が発表され「世紀の一戦」は延期が決定する。

さらに村田にとって、試合の延期・中止という憂き目にあうのは、コロナ禍となった2020年から数えて、じつに7度目のことだった。これは「土壇場」と言えるのではないか?

「たしかに(試合が)7回も延期になると、さすがに“もういいよ”となりますよね」

前回のファイトからすでに2年以上が過ぎていたことなどへの複雑な感情が、田中とのメンタルトレーニングでも頻繁に吐露されていた。

今回のインタビューでも同じように語ってくれたので、村田本人に試合ができなかったことについて改めて聞いてみた。「2年4か月にわたり、試合をできなかったことも日本人で初めてですよね」と問うと、「そうなんですよ!」と笑顔で、ただ力強い言葉でうなずき、こう話し始めた。

「みんな、金メダルとか世界チャンピオンとかミドル級とかを見てくれるんですけど、“悪いけど、俺の自慢はそこじゃないから”と思っているんです。俺は2年4ヶ月、試合ができなかった。でも、俺は耐えた。そこなんです。みんな華やかなところばっかり騒ぐけど、本当に見てほしいのはそこなんです」

かねてより、自身のボクシングについて「試合は花、だけど最も大切なのは幹と根の部分」との考えを持ち続けている村田は、“幹”にあたる日常の練習やアクシデントなどの困難に耐えることこそが重要であると、さまざまなメディアで発してきた。

「2年4か月を耐え抜いたというところが、自分のキャリアで大事なところ。プロでのハイライトはどこですかっていうと、普通ならオリンピックや世界タイトル獲得など“花”の部分なのかもしれない。だけど、決してそういうことではなくて。デビューしてから、うまくいかなかった7戦目の時期だったりとか、現役の最後の最後で2年4か月も試合できなかった、その“幹”の部分が自分にとって大事なところなんです。

だから、僕があまりメディアに出ないのは、そういうところなんですよ。メディアはそういう花の部分しか映さないので。それで、みんなが欲望をかき立てて”こうなったら幸せだ””勝ったものだけが勝ちだ”とか、そういうふうにしかならないから

ボクシングの王者として、2年以上も試合ができなかったという「土壇場」を耐え抜いた村田。自らが貫いてきた信条をキャリアの最後まで体現してきた熱意、さらにボクサーとして戦うことができなかった苦悩、むき出しの感情が一気にあふれ出た気がした。

▲自分にとっては花よりも“幹”が大事なところなんですよ