新日本を選んだ理由はアントニオ猪木がいたから

「『猪木ホーガン戦』のあとから人生が本当に変わった。金子さんとの出会いを筆頭に、いろんな人との出会い……、よく言うラッキーとか恵まれたとかではなくて、運命的な出会いをたくさんしたね。決まってたんだろうなって。

伊達さんと初めて会ったのが高校1年生で、俺は格闘技をやったことが無かったんだけど、かわいがってもらったね。国士舘大学に通って、15~16の俺が大学生に混ざって、金メダリスト、いわば世界チャンピオンである監督に手とり足取りで教わっているわけだから、周りは“なんだ? あいつ”と思ってただろうけど、知るか!って」

プロレスラーになると決意し、運命と呼ぶ刺激的な出会いを経験しながらトレーニングを続けた鈴木は、高校卒業後、晴れて新日本プロレスの一員となる。現在でこそ、数えきれないほどのプロレス団体があるものの、当時は新日本、そして全日本プロレスの2つのみだった。

「みんなドラマチックにしたがるけど、応募要項に沿って、普通に履歴書を送っただけだよ。新日本と全日本があって、新日本を選んだ理由はたった1つ。アントニオ猪木がいたから。それだけです。選ぶも何も当時は2つしか団体がなかったから。何十もの団体があり、プロレスラーと名乗れる人間が千人以上いる今とは全然違う。

猪木さんと初めて会ったの? 飯食っているときに、横でご飯をよそうのをこうやって待っていたのが一番最初。“本物の猪木だ、うわー、猪木が飯食ってる、納豆食ってる”って、それだけだよ。一番最初に何を話したか? そんなの覚えてねえよ!(笑)」

プロレスファンは何かと自分の思いや願いを強固にしたくて、こうした質問をしたがるが、鈴木みのるはそういう自分の気持ちを見透かしたかのように、質問をシャットダウンした。

そして、新日本プロレス入門以降も、鈴木の人生に大きな影響を与える出会いが続く。レスラーとしての技術を学んだ藤原喜明、その後、行動を共にする船木誠勝、さらに、「プロレスの神様」カール・ゴッチもその一人だ。

「ゴッチさんは藤原さんが連れてきたんだよ。“おまえたちのコーチを連れてきた”と言って。誰だろうって思ってたら“うわー、カール・ゴッチじゃん!”って(笑)。ゴッチさんとの付き合いは藤原組を退団後も長かったね。会うことはあんまりなかったけど、死ぬ直前まで文通してたから。辞書を引きながら英語で書いたよ。書くのも読むのも、訳しながらなのですごく時間がかかったけど。あの人の字は難しくて、古い書体で書いてくるから、余計に時間がかかるんだよ」

カール・ゴッチが鈴木みのると船木誠勝にそれぞれどのようなことを教えたのか、どのような姿勢を学んだのかを聞きたかった。船木には優しく、鈴木には厳しくしたという逸話や、非常に几帳面だったゴッチの素顔を知りたかったからだ。すると、鈴木は「教えるも何も、全部ゴッチさんのエゴだよ」と振り返った。

鈴木はインタビュー中、たびたびカール・ゴッチについて敬愛を込めて「頑固ジジイ」と呼んだが、藤原喜明と並び、「俺の人生に一番、影響を与えた人」と評した。

▲自分の人生に影響を与えた人としてカール・ゴッチと藤原喜明の名前をあげた

プロレスラーの「価値」を決めるのはファン

2003年にパンクラスを退団、新日本プロレスに主戦場を移し、再び「プロレスラー」となった鈴木。以降は、現在の地位を確立し、さまざまな団体のリングに上っている。

経験や技術に裏打ちされたファイトを繰り広げながら、対戦相手に罵詈雑言を浴びせ、射るような眼差しは、時として観客にさえも向けられる。バイオレンスな雰囲気を漂わせながら、相手を痛めつけることも彼のスタイルだ。

いつしか「プロレス王」との異名も背負うこととなった鈴木。長きにわたるキャリアでは「プロレスラーの価値を決めるのはファン」という考えを貫いている。

「俺の価値は10万円とか5万とか100万とか、“はあ、そうですか”って感じ。面白いか面白くないかを決めるのは客だよ。プロレスマニアには盛り上がるけど、プロレス初見のおじいちゃんおばあちゃんが“?”しか浮かばないんだったら、そいつの価値ゼロだから。

来た客を満足させて帰すのが俺の仕事であって。俺のやりたいことを押し付けるのが俺の仕事ではない。だって、プロレスはスポーツの要素はあるけど、スポーツではないので。競技としての側面はあるけど、競技ではない。プロレスはエンターテイメントであり、表現なんです。まあ、これも俺の中での話だけど」

すでにプロレス界に復帰し20年。また今年は、鈴木のデビュー35周年という記念すべき年だ。ちなみに、書籍『俺のダチ。』も「デビュー35周年記念書籍」と銘打っている。しかし、鈴木は「数字」には関心がない。

「俺には関係ないですよ。そんな刻んだ周年なんかいらないよ。俺の中では30周年は区切りとして、やりたいこともあったのでやったけど。(本の表記には)それは売る側の都合でしょ? 35周年に特別な区切りはないです」

さらに、自身や周囲の人々の年齢、上下関係などにも強い考えを持っている。

「世の中に広がる“何歳だから、50歳だから、60歳だから”という常識はすべてぶち壊してやりたい。日本人は特にそういう意識が強いんだよ、なんでか知ってる? 軍隊教育だからだよ。2期生は1期生に“はい”しか言えない、これはみんなそうじゃないですか。小学校からそれを植え付けるんで。イヤですね、そういう考えは。

それと、年齢によって人への接し方が変わるヤツもいるよね。最初は普通にしてるのに、年齢が自分より下だと知ったら“あなた、1コ下なの?”って急に喋り方が変わるやつ。“相手が20歳であっても10歳であっても、普通に会話できねえのか!”って思うね。俺はプロレスの世界、芸能の世界、一般の世界といろんな世界を回っているんですけど、そういうのが山ほどいるんで。それがすごく嫌い。

自分以外はみんな先輩じゃないですか。そう思ってますよ、俺は。だから普通に“はい、そうですね”って会話すればいいじゃないですか。友達になったら、取っ払って友達の言葉で喋ればいいし」

▲プロレスラーの「価値」を決めるのはファンでしょ