現在、日本代表が挑んでいるラグビーワールドカップ、9月29日のサモア戦も見逃せない戦いとなりそうだ。そんなラグビー経験者でもあり、40歳の若さで日本維新の会の幹事長に就任したのが藤田文武氏。議員歴2年半で政党COO(最高執行責任者)となり、政党を経営する「日本大改革プラン」をマニュフェストに掲げる彼に、ラグビーに汗を流していた学生時代について聞いた。
※本記事は、藤田文武:著『40代政党COO 日本大改革に挑む』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
ラグビー経験者が多い維新の会
大学卒業後、教師生活を振り出しに社会人になった私は、20代後半から会社の経営者として過ごし、そして 30代後半から政治家の道を歩み始めましたが、人生の原点の1つと言えるのが高校・大学時代でのラグビーから得た経験でした。
維新の会には、なぜかラグビー経験者が多いんです。初代代表の橋下徹さん、現代表の馬場伸幸さん、共同代表の吉村洋文さん、選対本部長代行の井上英孝さん、参議院議員の松沢成文さんをはじめ、地方議員にもたくさんラグビー経験者がいらっしゃいます。
なぜでしょうか。じつはラグビーというスポーツは、スタープレーヤーの“個人技”だけでは絶対に勝てないスポーツだからではないか、と私は思っています。イギリスで生まれたラグビーは、戦時には真っ先に戦場に志願することになる若者の教育のために発展した、大変消耗度の高いスポーツです。若者はそこでリーダーシップやチームワークを学ぶのです。
ラグビーのワールドカップが日本で開催され、代表チームの実力も世界的な強豪国に近づくようになり、近年のラグビー人気の高まりにはうれしく思います。子どもたちのあいだでもサッカー、野球、バスケットボールなどと並んで、ラグビーはすっかりメジャーな競技になりました。
ラグビーに出会いのめりこんだ高校時代
私がラグビーと出会ったのは、大阪府立四條畷(しじょうなわて)高校に入ったときです。 かつては花園(全国大会)に9度も出場し、1948年には準優勝したこともある、歴史と伝統のあるラグビー部でした。入学前はラグビーのことに詳しくなかったのですが、中学時代のバスケ部の先輩がラグビー部員で、「練習を見に来い」と誘われたのがきっかけでした。
体力に自信のあった私ですが、最初は猛練習についていくのがやっと。特に、数人でパスを回しながらひたすらダッシュをする「ランパス」は本当にしんどかったです。
ラグビーというと肉弾戦のイメージを持たれがちですが(もちろん実際にそうなのですが) 、 戦術などで非常に頭を使うスポーツだと気づいてから、ますます面白く感じました。
目標は高く花園を目指していましたが、残念ながら大阪府予選で2年時にベスト4、3年 時はベスト8止まり。うちの高校から花園ラグビー場まで車で30分ほどの距離でしたが、あこがれの舞台は残念ながら近くて遠いままの存在でした。
ラグビー部の顧問の先生が筑波大学のラグビー部出身であり、非常にお世話になったことから、自分も「筑波大学でラグビーをしてみたい」と思うようになりました。3年間、ラグビー主体の高校生活でしたので学力が足りず、1年間浪人してしまいましたが、なんとか志望どおりに合格することができました。