怪我でスタメン落ちも「主務」としての才能が開花

筑波のラグビー部といえば「国立大学最強」と言われるように、高校でトップクラスだった選手が何人もいて大変レベルの高いところでした。花園未経験で浪人して入ってきた私が試合に出るには、何倍も努力をしなければなりませんでした。 

必死の努力のかいあって4年生の時にレギュラーの座を……と書きたかったところですが、現実はそんなに甘くはありませんでした。夏合宿中に足首の靱帯を3本切って全治6か月の大怪我をしてしまい、大事なラストシーズンを棒に振りました。松葉杖をつき、心身ともに挫折感でいっぱいになりながら、グラウンドの外から仲間たちの練習を眺めたときの光景は今でも忘れることができません。

しかし、それでも心がチームから離れることなく、最後の最後まで がんばることができました。それは、チームにおいて「主務」という重要な役割を担わせていただいていたからです。

主務とは、 チームの運営を裏方として取り仕切るマネージャーです。 表のリーダーが主将(キャプテン)だとしたら、裏のリーダーが主務だとも言われます。筑波大ラグビー部の主務は、最終学年時に同級生が話し合って誰にするか決めるのが毎年の慣わしでした。

なんとレギュラーになりたいと思っていた私は、主務を引き受けると練習以外の雑務が増えて足枷になると思い、何度も断り続けました。しかし、主将と副将になる同級生から「藤田、お前以上にうまく主務としてチームを取り仕切れるヤツはいない」と熱心に説得され、渋々引き受けました。しかしこれが転機になりました。

主務の仕事は多岐にわたります。チーム全体のスケジュール管理、対外試合の調整、グラウンドや用具の確保や管理、予算作成や収支管理、大学本部やラグビー協会との連絡、地域のボランティア活動、OB会との連携、トラブルシューティングやメディア対応など、運営上のすべてのオペレーションを管轄する立場です。

はじめは自分にできるのかと不安もありましたが、引き受けたからには徹底的にやってやろうという覚悟でチームに尽くしました。戦いにおいては、兵站がきちんとしていなければたちまちに負けてしまいますが、主務という仕事は兵站、渉外、内部統制など幅広い任務を含んでいるわけです。

▲現在の活動にもつながる「主務」としての才能を見つけたのが学生時代だった

部活内の風通しを良くする「委員会システム」を導入

筑波のラグビー部は、もともと上下関係の風通しは良いほうでしたが、雑用は1年生に押し付けて上級生は悠々としているという、昔ながらの体育会系年功序列カルチャーがまだ残っていました。そこで、勝つための組織を作り上げていくため、組織改革や業務効率化などに取り組みます。

具体的な取り組みの1つが、委員会システム。2つ上の先輩方が始めた仕組みをブラッシュアップしつつ組織作りを進めていきました。用具係やメディカル担当、会計や広報といった業務ごとに担当の委員会を作り、主務と副務は全体を統括。1年生は実務を手がけ、2年生がそれをサポート。3年生が監督し、4年生が委員長として責任を負うというシステムを根付かせていきました。

体育会の部活動によくある話ですが、何かミスがあれば雑用係の1年生だけが怒られる、といった悪しき慣習を完全にやめようと思ったわけです。この「委員会システム」により、4年生の「マネジメント」が失敗すればミスが出るわけですが、責任の所在と指揮命令系統を明確にすることで、1年生から4年生までコミュニケーションも活性化し、見違えるように組織が動き出すようになりました。

ちなみに、私が卒業してから20年近くが経ちますが、後輩たちがこの委員会システムを活用し、年々改良させていると聞きます。OBの1人として筑波大学ラグビー部の発展に少しは貢献できたのかと思い、うれしく思います。 

主務となった1年間、ほぼ毎日のように監督の部屋に行き、運営面での打ち合わせをしていたことを思い出します。当時の監督は中川昭先生(元筑波大学教授、現京都先端大学特任教授)という、私と同じ大阪出身の大先輩でした。あるとき、中川先生がこんなことをおっしゃったことを覚えています。「筑波のラグビーは、 日本のラグビーのために王道をいかなあかん。 結果も大事だが、その過程が大事なんや」と。

教員養成機関としての使命を持った東京高等師範学校、東京教育大学を前身とする筑波大学の卒業生は、今でも教員として学校現場を進路に選ぶ人が多い。

もし、目先の試合に勝つためだけに、基礎や王道からかけ離れたトリッキーな戦術ばかりにこだわっていたら、大学を卒業して全国各地で指導者となったときに、次の世代を担うラグビー選手にまで影響してしまうんだと。短期的な目線だけでなく、大局から長期的な目線を持つことの大切さ、そしてなにより基礎を大事にして「王道をいけ」という教えは、今でも私の価値観の軸となっています。