大学でサッカーを続けるのも悪くない!
僕もそうでした。スポーツ推薦の1年生が7人ベンチ入りした“しわ寄せ”でインターハイではベンチ外。「俺のがやれるのに!」って思っていました。
先生が「走れない選手は使わない」と言ったから、死ぬほど走って最後の大会は背番号20、ギリギリでベンチ入りでした。
「走れるからといって使うとは言ってない」
は監督が口には出してない本音ですが、それに気づいたのは引退してから。
1日に800m走4本。1500m走4本。200mダッシュ10本。40mダッシュ100本。その夏に何度もやらされたメニューです。僕はこのうち1本たりとも着順2番以内を譲りませんでした。
そして、大会5日前に足首の靭帯損傷。
サッカーなんて高校出たらどうせやらないんだから、ここで壊れてもいいと思って隠して続けました。
うちの先生は、練習でいくら結果を出したって僕のことを戦力として見てくれないとわかっていたので、「勝ちが決まった試合で、思い出作りで出してくれるかもしれない。数分で結果を出そう」
そう決めていました。
足首は全治3ヶ月でしたが「出ればやれる」。そういう根拠のない気持ちが大会中ずっとあるなか、初めて苦戦したのが4試合目の地区の決勝でした。今年の後輩たちが敗退したのと同じラウンドです。
相手はうちのキーマンを徹底してファウルで止める狡賢さもあったし、うちより強かったです。
僕らも後輩たち同様、延長にもつれ込み一点を先制されました。監督がベンチを見ました。
僕はそのとき初めて
「俺が出ても、あいつらの助けにはならないんだろうな。出たくないな」
と思ってしまいました。自分らの代になって初めてそう思ってしまったのが、最後の試合だったのです。
もちろん、その状況で監督は僕を一瞥することもありませんでした。
僕は「出たくない」と思ったこと。これが悔しくて、サッカーが強くないセレクションのない大学を探して入学することにしたのです。
高校で無理した足首は大学に入ってもまだちょっと痛かったけど、そこで出会ったサッカーは、それまでやってきたものとは違う新鮮なものでした。
ピッチ上の全員が格上。Jユース出身者や元プロとマッチアップしたことも。同格の大学は浦和レッズや大宮アルディージャと練習試合をしていました。
そんな環境で日々新しいサッカーの知識を頭にねじ込まれ、それを応用しながら戦っていく。戦略ゲームのような楽しさがありました。
「コロナのせいで青春っぽいこと全然できなかったから、大学では遊びたい!」と思ってる学生さん、いっぱいいると思いますが、大学はサッカー部に入っても意外とできます。
よほどの強豪大学はわかりませんが、基本的に高校より時間はあるので、海もスノボもバイトもカラオケオールも合コンもいけます。
僕の経験上、お笑いの養成所は部活やりながらではギリ無理でした。
豊島と言わず、悔いが残る形で部活を引退した無名の高校生がいたら、4年続けろとは言いませんが、セレクションなしで入れる大学を探して、まだサッカー中心の青春を続けるのも悪くないと思いますよ。
へたくそが大学サッカーやるうえで必要なのは、頭を使うこと。
そしてひたむきに努力すること、です。