日本のファンタジスタ・小野伸二選手が引退を発表

先日、北海道コンサドーレ札幌の小野伸二選手が今シーズン限りでの引退を発表しました。つい2ヶ月ほど前に、このコラムでも小野伸二選手への愛を綴らせていただきましたが、また書かせてください。

今シーズンのコンサドーレの最終節の相手は浦和レッズ。

レッズサポーターの僕としては当然、見に行きたいし、また思いの丈をぶつけたくなるかもしれませんが、最終節のあとは祝・レッズ優勝記念コラムを執筆予定なので、小野選手との思い出は今書きます。

それで言ったら、先々週の代表戦を見て書くと言ってた「トルコ代表の記事」はどうすんねん、という、おそらく誰も覚えていない次回予告があったのですが、それは立正大淞南のトリックコーナーキックくらい鮮やかなスルーをかまして、来年のユーロ2024の頃に書きましょうかね。

前にも書きましたが、小野伸二選手は僕が初めて見た「ファンタジスタ」という人種でした。

トップ下でチームの太陽のようだったプレーは、娯楽性と遊び心にあふれていて、たぶん僕よりも下の世代が知ってる「ボランチ・小野伸二」よりも、もっとロナウジーニョとかイスコとか、そんな雰囲気の選手でした。

本人いわく、選手としてのピークはピッチの全てや未来が見えていたという19歳で、その19歳で大怪我を負ったあとは、それまで見えていたものが見えなくなったそうですが、それでもキャリアは上昇していきます。

ちなみに僕が恋した小野伸二選手は18歳で、当時の僕が7歳なので記憶が断片的なんですよ。でも、子どもながらに復帰後はプレーの感じが少し変わっていた気がしたんですよね。

なので、もう少し大人になってからトップ下・シンジを見て、そのプレーを脳裏に焼き付けたかったと思わなくもないです。

ただ、7歳の記憶が断片的にでも32歳の今でも残っているくらい、素晴らしい魔法の数々でした。

9歳の頃、僕が鉄棒から落っこちて入院したとき、不憫に思ったコーチが

「かわいそうだから選手のサインもらってきてやるよ。マリノスなら誰でもすぐいけるぞ。俊輔とか欲しいだろ」

と元気づけてくれました。今思うと当時のマリノスには、うちの少年団のOBである井手口純選手(中村俊輔選手の桐光学園の一つ下)がいたからお願いしやすかったんだと思います。

中村俊輔選手は当時、子どもたちの一番人気選手ですが、僕は「小野伸二がいい!」

とゴネにゴネて、コーチをレッズの練習場に通い詰めさせてしまいました。

その当時もらったサインは部屋の天井に飾り、高校時代の地獄みたいな時期も、目を開けたら最初に目に入るそのサインを見て、心を奮い立たせて朝練に向かっていました。

プレースタイルはだいぶ違う感じになっちゃったけど、それでもサッカーが大好きで続けてこられたのは小野選手のおかげでもあります。

小野選手はオランダに渡り、フェイエノールトの太陽の如く輝きを見せてUEFAカップで優勝を果たします。

のちのスーパースター、ファン・ペルシーが

「日本人がこれだけ上手いんだったら、オランダ代表どんだけレベル高いんだよ」

と、ビビりながらオランダ代表に初めて入ったら

「オランダ代表に小野伸二より上手い選手が1人もいなかった」

と語ったのは少し有名な話。

当時エースだったオランダ代表のファンボーイドンクは

「日本から商業目的で選手が来た、と思っていた。しかし、シンジは水や練習道具の準備など率先してスタッフの手伝いをしていた。チームメートたちで「シンジどう思う? いいヤツじゃないか? あいつほどチームために行動しているヤツはいるか?」と話すほどに印象が変わり、心を掴んだ」

と語っています。

そしてボールさえもらえれば天才ですから、すぐにスペシャルワンになりました。

当時、夜更かししてエールディビジを見るのが本当に楽しかったです。トマソンもボスフェルトも、フリーキックを小野選手に譲ってくれないファンボーイドンクのことも大好きになりました。

▲フェイエノールトのユニフォームを着てフットサル

それから長い年月が過ぎ、僕はサッカー好き芸人として、さまざまなサッカー選手の方々とフットサルをさせてもらえるようになりました。

小野伸二選手と出会ってなかったら、きっとこんな人生ではなかったと思います。