『妄想マンデー』(AbemaTV)で一躍注目を集め、『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)の「関西弁あいうえお」で確立させた清水あいりの新たなグラドルのスタイルは、時代の先駆けでもある。

テレビで上田晋也など大物MCと対峙している清水あいりを見たときに、どこか自然体な印象を受けた。セクシーなのに無理している感じが一切ない。その自然体なスタンスはどこから来ているのか。今回ニュースクランチのインタビューでは彼女の内面に迫った。

▲清水あいり【WANI BOOKS-NewsCrunch-Interview】

上京する際に父親から言われた言葉

――実家が貧乏だったというエピソードは、これまでさまざまな媒体で話されてきたかと思うのですが、改めてあいりさんは小さい頃、どんな子どもだったのかを教えていただけますか。

清水 従姉妹を合わせると、私を含めて4人の女の子がいたんですけど、私だけお姫さま扱いされていたんです。というのも、その頃から仕草や喋り方、雰囲気が唯一女子らしかったみたいで。残りの3人の女の子は、男の子と喧嘩しても勝ってしまうくらいオラオラ系だったこともあって、私の女の子らしさが目立っていました。

――あいりさんの可愛らしさは天性のものと、環境によって磨かれた部分もあったんですね。その反面、小さい頃から空手も習われていたとお聞きしました。

清水 お姫さま扱いされていた反動ではないですが、私も男っぽくなりたいという願望が自分の中でうまれて、3歳から空手をやり始めたんです。そもそものキッカケは祖父で、幼稚園の頃に「将来、変な男が寄ってくる雰囲気があるから」ということで習ったんですけど。

――なるほど、3歳の頃から男を引き寄せてしまうフェロモン的なものが……。

清水 出ていたのかもしれませんね(笑)。ただ、空手の魅力にすっかりハマってしまって、当時は「空手の師範になる!」と周りに言っていましたね。女性で師範になる人はあまりいないんですけど、私はなりたくて頑張っていました。12年ほどやっていて、型の部では近畿大会で3連覇したこともあります。

――「童貞を殺す空手」を披露されてますが、そこまでガチでやっていた下地があると、さらに面白く感じますね。

清水 ありがとうございます(笑)。テレビで披露することに空手の先生はどう思ってるんだろう……と不安になってたんですけど、「気にせずやりなさい」と言ってもらえて、本当にうれしかったです。実際に空手に向き合っている方からも好意的な意見が多くて、より空手が好きになりました。

――15歳の頃に親元から離れて上京したそうですが、その年令で決断するのはすごいと思うんですが、不安などはなかったんですか?

清水 不安はあったんですが、楽しみのほうが大きかったですね。上京のキッカケは、当時、東京に住んでいた姉の家に遊びに行ったときに、たまたま芸能事務所にスカウトされたことなんです。でも、空手の師範にもなりたかったので、最後まで空手の強い高校に行くか、芸能の道に行くかで迷ってました。

そしたら、お姉ちゃんが「あんたも東京に来たらええやん」と後押ししてくれて、上京することに決めました。

――もともと芸能活動に興味はあったんですか?

清水 映画などエンタメが大好きだったので、芸能活動に興味はありました。空手をやっていたので、自分にできることはアクション系かなと思って、倉田アクションクラブとジャパン・アクション・クラブの2つで迷っていたんですが、スカウトされた事務所でまずは頑張ってみようと思って始めたら、いつの間にかグラビアをやっていた感じです。

――10代でグラビアを始めることに対して不安はなかったのでしょうか? それこそ両親に相談したりとか。

清水 私はなんでも自分で決めちゃうタイプなので、親に相談したことは一度もなかったですね。唯一お姉ちゃんには決まってから言いました。母親は私がグラビアを始めることを知ったら精神的に参ってたらしいです。親戚も全然イメージになかったのか「え? グラビアをやってんの? あの子が?」みたいなことを言われたみたいで、お母さんにごめんなさいと謝りたいですね。

――なるほど、それでもグラビアアイドルの活動を続けてこられたのはなぜなのでしょうか?

清水 私の中に諦めるという選択肢はなかった、それだけだと思います。上京するときに父親から言われた「そんだけ覚悟して上京すんねやったら、絶対に泣いて帰ってくんなよ」という言葉が、常に頭の中に残っていたんです。

私がもし両親の立場だったら、15歳という年齢で東京に行かせないと思うんです。だから、よく旅立たせてくれたなって。両親は覚悟を持って送り出してくれたってことですよね。父親の言葉があったから、ちょっとやそっとじゃ帰れないぞって思ってました。