2015年『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞しデビューした小説家・小川哲。2017年には『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を受賞し、2023年『地図と拳』で第168回直木賞を受賞した。

今年10月に新潮社から発売した最新作『君が手にするはずだった黄金について』は、収録されている短編全て、小川自身を主人公として描かれている。デビュー以降ほとんどの著書で賞を受賞しており、順風満帆にも見える小川の人生。果たして彼に「土壇場」といえる状況はあったのだろうか。

▲俺のクランチ 第42回-小川哲-

最初に書き上げた作品がデビュー作

昔から本を読むのが好きだったという小川は、東京大学大学院総合文化研究科博士課程2年時に、第3回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞し作家デビューを果たす。今やSF・歴史・ミステリーなどさまざまなジャンルで高い評価を受けている小説家だ。

「イチから最後まできちんと書き上げたのは、デビュー作『ユートロニカのこちら側』なんです。書こうと思ったきっかけは、単純に“小説家になろう”と思ったから。専業の小説家になるか、他の仕事もするかの選択はありましたが、小説家になるには“まず小説を書かなきゃいけない”と思い、ひとつ仕上げてコンテストに応募した感じです。誰かの本を読んで小説家になろうと思ったわけではないですね」

最後まで書き上げた初めての作品がデビュー作。まるで天才の話を聞いているような気分になるが、たとえ読書家だったとしても、初めて小説を書こうと思っても、自分が書きたいものが書けるわけではない、はずだ。

「本はたくさん読んできていたし、読みながら“この表現はこういう表現のほうがいいんじゃないか”とか、“このエピソードはここではいらないな”とか考えていたんですよ。自分が書いた文章に対しても同じことを無限に繰り返せば、理論上では、いま読んでいる小説よりも面白いものが書けますよね。

書き手の自分は未熟でも、読み手の自分が成熟していれば書けるんだと思うんです。自分が書いたものをフェアにジャッジできれば、モノにはなるんじゃないかっていう理屈ですね。自分が納得いくまで繰り返して、仕上がったものを応募したら結果が伴った感じです」

思えば、小川の作品はエンターテイメント性がありながらも理路整然としている。その一端を垣間見た気がした。しかしながら、小川のように最初の応募で賞をとる人はなかなかいないだろう。もし、そこで結果が出ていなかったらどうしていたのだろうか。

「一回で結果が出なかったとしても、また書いていたと思います。何回かは挑戦したんじゃないかな……わからないですけど。なんせ“小説家になろう”と思っているわけですから」

さも当然のようにサラッと語る小川に、その自覚はないかもしれないが、聞き手としては小説家としての矜持を感じた瞬間だった。

▲この仕事を選んだ理由は“小説家になろう”と思ったからです

就活してわかった “じゃないんだな” 感

最新作『君が手にするはずだった黄金について』の【プロローグ】を読むと、まさにこれが土壇場なのではないかと思う内容。就活という、人生のなかでも大きな決断をしなければいけないときに、小川は“小説家になろう”と自分の能力に賭けた。

「“自分に小説を書く才能がある”と思ってベットしたというよりは、“自分が社会人として才能がない”ことにベットした感じですね。自分は普通の社会ではやっていけないぞ、と思っていたので(笑)。

今、インタビューを受けているこの場所、新潮社の会社説明会に行ったときの話です。会社の説明会って、入社したら一緒に働くかもしれない人たちがいるわけじゃないですか。 そこでなんか“絶対一緒に働きたくねえな”と思ったんです(笑)」

▲就活経験でわかった “じゃないんだな” 感を教えてくれた

比較的、甘やかされて育ったほうだと話す小川。憧れもあり足を運んだであろう出版社の会社説明会で、“一緒に働きたくない”と思った理由について聞いた。

「会社説明会は、服装に指定がなく自由だったんです。なのに、全員がスーツを着ていたんですよ。僕は友達と二人で行ったのですが、僕らだけすごく浮いていました。あ! 僕らもジーンズとかで行ったわけではないですよ(笑)。でもそこで、“みんなスーツなのか……”と思ってしまいました。

いま考えたらわかるんですよ。就活中だから、他の企業の説明会にも行っているかもしれない。それでスーツを着ていたのかもしれませんよね。でも、そのときの僕は“服装は自由って書いてあるのに、スーツで来るのが気持ち悪いな”と思ってしまいました(笑)」

服装自由の説明会にスーツを着てくる就活生だけでなく、それ以外にも違和感を覚えたのだと話す。

「部長クラスの人が壇上に立って話をして、その後、質疑応答みたいな時間が設けられるじゃないですか。そこで就活生が手を挙げて質問をしますよね。“〇〇大学〇〇学部の〇〇と申します”って。まず名乗るのも気持ち悪いと思っちゃったんですが……、そのあとに“貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます”とか言うんですよ。

会社説明会って、会社側が魅力をアピールする場じゃないですか。それなのに、学生側が自分をアピールするのって、論としておかしいですよね? もう衝撃だったんですよ。“お話、大変興味深かったです”とかならわかりますよ。でも、“ありがとうございます”って……貴重な時間を提供したのは学生側じゃないですか。質問をする人みんなが、そんな感じだったので驚きましたね。

質問も“電子書籍事業についてはどうお考えですか”とか“業界が縮小してきていますが、どのような戦略をお考えですか”とかで。“くだらねえな!”と思っちゃいました(笑)。いや、面接ならまだわかるんですよ。会社説明会でもそれが正しいみたいな風潮に、自分は“じゃないんだな”と感じました」

面接を受ける可能性がある会社に、自分をアピールしようとする就活生は多くいるものだ。しかし、小川はその空気感をおかしいと思い、“ここにいる人とは一緒に働きたくない”と感じたのだ。自分が納得できないことがあると、どうしても気になってしまう性格は幼少期からだったようだ。

「小さい頃から屁理屈なところはあったかもしれません。理屈が通っていないことには昔から納得していなかったですね」