大航海時代に発見された大陸の多くで、欧州各国の活性化のための植民地支配が始まりました。植民地となった「属国」は、支配者である「宗主国」のいわゆる奴隷となり、宗主国の利益のための政策が展開されました。京都大学大学院工学研究科教授でグローバリズムに詳しい藤井聡氏が、16世紀のスペインに征服されたフィリピンの植民地政策について解説します。
※本記事は、藤井聡:著『グローバリズム植民地 ニッポン -あなたの知らない「反成長」と「平和主義」の恐怖-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「植民地」という“かりそめの国”
植民地とは、主として欧州各国が16世紀から20世紀にかけて、アジア・アフリカ・南アメリカの国々を軍事的に征服したうえで実行していた支配形態です。植民地支配がもっとも激しく進められたのが、第一次大戦前後の時期で、20世紀初頭の頃には、ヨーロッパ系白人が地球上の土地の84%を支配するに至ります。
こうした植民地支配は、大航海時代に遡ります。15世紀、欧州の海洋航海技術の進展で、地球上のあらゆる地域への「大航海」が可能となりました。当時の大国であったスペインやポルトガルが、この大航海を積極的に行い、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」しています。その後、両国は大航海を繰り返し、訪れた地の原住民たちを圧倒的に強い軍事力にものをいわせて、植民地として支配するようになっていきました。
その典型的な植民地の一つが、フィリピンです。フィリピンは16世紀にスペインに征服されて植民地化され、スペインにいいように使われ、搾取されていきます。そして、19世紀末から20世紀中盤に「独立」するまで、今度はアメリカの植民地として同じように搾取されていました。
もともと複数の島から構成される現在のフィリピンには、それぞれの島を統治する複数の王国がありました。しかし、強大な軍隊を持つスペインが、フィリピンのそれら複数の王国を軍事的に制圧し、それらをまとめてスペインの植民地としたのでした。植民地にも、一応は「国」が存在してはいるのですが、その国は、支配者である「宗主国」の「属国」なのです。
というより、このフィリピンの例では、宗主国が原住民から効率的に富・利益を吸い上げる(搾取する)ことを目的として“でっち上げられた国”が、植民地の国ということになります。つまり、植民地となった国とは、主人=宗主国の奴隷なわけです。奴隷ですから、主人のいいように使われます。自分で何かを決める自由などなく、主人の道具という存在意義しか与えられません。
欧州で価値の高い「香料」が欲しかったスペイン
では、宗主国がどのように属国である植民地を利用し、搾取していくのかと言えば、それには主に以下の三つの方法があります。
- 原料供給地(香料や金、銀などの原材料・資源を供給させる=奪い取る)
- 資本輸出地(資本輸出の輸出先にする。つまり鉄道・港等のインフラ投資や工場投資などを行い、自国のものとして利用する)
- 商品輸出地(貨幣経済を導入させたうえで、宗主国でつくったものを買わせる)
つまり、宗主国はまず、属国のなかにある価値あるもの(香料や金、銀など)を奪い去ります。もちろん、その採掘や生産については原住民たちに強制させます。すなわち、原住民の「労働力」を活用するわけです。これが「原料供給地」としての活用です。
もともとスペインは、フィリピンに欧州で価値の高い「香料」があると見込んで植民地としたのですが、この狙いは外れ、あまり香料が取れないということがわかります。
続いてスペインは、このフィリピンの地を交易の中継基地として活用していきます。当時、アジアとの交易は、欧州の国々に巨万の富を与えたからです。そして、19世紀にはマニラに大規模な港をつくり、さらに交易を加速していきます。さらにスペインは「プランテーション農場」をフィリピンの地につくり、欧米で高く売れるタバコやマニラ麻や砂糖などを原住民を使って生産させていきます。
こうしてスペインは、港や農場という「資本」をフィリピンの地につくっていき、それを使ってビジネスを展開し、カネ儲けをするようになっていったわけです。すなわち、スペインはフィリピンを「資本輸出地」として活用していき、自国ではできないビジネスを、フィリピンという植民地の土地と原住民の労働力を使って、低コストで展開していったのです。
以上が「原料供給地」と「資本輸出地」としての植民地活用のあらましですが、宗主国はこの二つに加えて、もう一つ、重要な搾取アプローチを展開します。
それが、「商品輸出地」としての活用です。