「カネ儲けマシーン」に変えられた原住民たち

以上に述べたのは、宗主国による植民地の「土地」「資源」「労働力」の搾取・収奪という話しでした。

ですが、この商品輸出地としての活用するのは植民地の「需要」なのです。この植民地の「需要」というものは、16世紀や17世紀の頃はさして重視されませんでしたが、19世紀以降の帝国主義の時代には、欧米列強から植民地政策における最も重要な政策として位置づけられるものとなっていきます。

そのように植民地政策の方針が転換されたのは、19世紀からの帝国主義の時代、宗主国となった欧州各国は皆、デフレ不況に苦しんでいたからです。

つまり、生産能力が過剰になり、自国の需要だけでは、生産したもの全てがさばききれない状況になってしまっていたのです。ですので、欧州各国は過剰生産を消費してくれる「需要」を渇望する状況にあり、これが帝国主義=植民地による支配が地球上で横行した主な原因だったのです。

つまり欧州各国は、当時、需要不足を解消する方法として、その国の人々に自国の売れ残った品物を無理矢理売りつけたわけです。こうして宗主国は植民地の人々の需要を収奪し、自国民の産業を活性化させ、賃金水準を維持し高めていくという格好で、植民地を自国のために都合良く利用した経済成長を図ったわけです。

ただし、そうして無理矢理に自国製品を売りつけ、原住民たちの人々の需要を奪い去るためには、彼らが「貨幣」というものを使っていなくてはなりません。ついては、宗主国側は、属国に対して「貨幣」というものを持ち込んで、それを軸とした「貨幣経済」を作り上げることとしたのです。

宗主国はそのために、まず「徴税」という概念を持ち込みます。つまり、原住民はそこで生きているだけで、それまで見たことも無い「オカネ」なるものを手に入れて、それをお上(宗主国)に毎月毎月支払わないといけない、という状況を宗主国側が作り上げるわけです。

そうすると、住民たちは必死になってオカネを稼ごうとして、同じく宗主国が経営する農場なり工場なりで働くようになります。こうして徴税という仕組みを使って、原住民たちを「カネ儲けマシーン」に仕立て上げることを通して、資本主義における「労働者」にするわけです。

そして、それと同時にモノやサービスを買うときにはオカネを使うように仕向け、「消費者」に仕立て上げていきます。そしてそういう制度設計アプローチを通して、その国のなかに「貨幣経済」を作り上げていくのです。

そのうえで宗主国は、自分の国でつくった多くの商品を植民地の原住民に売り飛ばし、原住民の需要を収奪していったわけです。それと同時に、先に述べた「資本輸出」で、現地に工場や鉄道などをつくることでも、植民地に新たな需要を発生させることができるのです。

▲マニラ大聖堂 写真:Richie Chan / PIXTA

宗主国スペインは、こうして「徴税システムの導入」「貨幣経済の導入」という壮大な改革を敢行したうえで、フィリピン人たちの「需要」を収奪すると同時に、新たな「投資需要」を産み出すことに成功したわけです。

なお、このフィリピン人たちの需要収奪は、19世紀末にスペインのあとにフィリピンの宗主国となったアメリカが、特に強力に展開していった収奪方法でした。