ピン芸人としても名を馳せていた可児正と高木払いが組んだコンビ「都トム」。二人はコンビ結成2年目ながら、並み居る強豪のなか『キングオブコント2023』で準決勝に進出。惜しくも決勝進出は逃したが、その名を大いに轟かせた。また、昨年末放送の『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』で「マツコ・デラックスを案内する人」「撮影中、元も子もないことを言う庵野秀明」の2ネタを披露し注目を集めた。

二人はどのように出会い、なぜコンビを結成したのか。ニュースクランチ編集部ではこれまでの経歴、そして「都トム」誕生の瞬間についてインタビューした。

▲都トム(可児 正 / 高木 払い)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

ピンネタ2本で『R-1』で準々決勝へ

――お二人は都トムを結成されるまで、それぞれピン芸人として活動されていたそうですが、コンビ結成までの経歴を教えていただけますでしょうか。

高木払い(以下、高木):僕は最初、人力舎の養成所に入ったんですけど、人力舎って卒業したあとにオーディションがあって、全員が所属になれるわけじゃないんです。そこで不合格になってしまって……。

そしたら、ジンセイプロの社長が人力舎養成所卒業ライブを観に来ていて、気に入った生徒を欲しいと養成所の幹部に声をかけるみたいなことをしていたので、ジンセイプロに所属しました。超落ちこぼれからのスタートでしたね。

――高木さんの他にもジンセイプロに所属した方はいらっしゃったんですか?

高木:同期も何人かはいました。でも、みんな2か月くらいで、ここにいても可能性なさそうだと感じて、どんどん抜けていって……(笑)。最終的に僕だけが残りました。

可児正(以下、可児):正常な人間なら2か月で危機感を感じるところに、7~8年も居続けた…(笑)。

高木:(笑)。自社ライブがない事務所なので、極端な話、新ネタを作んなくていいようなところなんですよ。でも、そのゆるい感じが逆に自分には合ってたのかなと思います。

――ジンセイプロといえば、モノマネ芸人のイメージが強い事務所で、高木さん自身もモノマネをされていますよね。

高木:人力舎の養成所のときは、コンビを組んで普通にネタをやってました。その相方もジンセイプロに一緒に入ったんですけど、辞めてしまったんです。だから、僕がモノマネを始めたのはピンになってからですね。ジンセイプロって、やっぱりオーディションもモノマネが多いんですよ。だから、何かやれるものを持っておいたほうがいいなと思って、「Mr.ドーナツ伝説 咳暁夫」というネタを始めました。

※高木が「Mr.都市伝説 関暁夫」のモノマネ「Mr.ドーナツ伝説 咳暁夫」として、ドーナツにまつわるネタを披露する。

――では、ジンセイプロに入ってなかったら、モノマネはやってなかったかもしれない?

高木:そうですね。人力舎に入ってたら、まったく違う道を歩んでたと思います。

可児:でも、高木さんはピン芸人といっても、純粋なピンネタはモノマネの「Mr.ドーナツ伝説 咳暁夫」と「トルティーヤ陽平」の2本しかないんですよ。

※高木が「タコスお笑い芸人」に扮するネタ

高木:他のキャラは出オチなので、“その日に作って、その日に捨てる”みたいな生産性の悪いことをずっとやってます。

可児:まあ、それでも『R-1』で準々決勝まで行ってますからね。

高木:同じことをやりつづけて、それが強くなったって感じです(笑)。

▲ピンネタ2本のみで『R-1』で準々決勝まで行ったという

ウケなさすぎて過呼吸になったりもしました

――可児さんの経歴も教えてください。

可児:僕は大学生のときに同志社大学の地域研究会に入って、そこでお笑いを始めました。大学入学前からお笑い芸人になりたいと思ってたので、親を説得する手段として、大学生のうちに実績を積んどこうかなと。意外とすんなり許してもらいましたけど。

――卒業後は養成所に行かれたんですよね。

可児:そうですね。2018年に東京に来て、ワタナベの養成所に。なので、そのままワタナベに所属しました。

――関西の同志社大学に通っていた可児さんが、なぜ東京の事務所を選んだんですか?

可児:大学お笑いをやっていたときも、関西ではウケなかったんですよ。サークルの人からは褒められるけど、お客さんからはアンケートで「あんなにおもしろくないのに、出続けていてメンタルが強い」とか書かれて(笑)。でも、東京のサークルと交流するみたいなライブで東京に来たときに、すごいウケたんです。それで、東京に行くしかないなって確信しました。

高木:可児さんはネタの雰囲気も東京っぽいですよね。

可児:それがプロになってからのライブでは、全然ウケなくなっちゃったんです。作家の人には褒められたんですけど、客前に立つとウケなくて……ウケなさすぎて、過呼吸になったりもしました。

ものすごくストレスが溜まるネタのやり方をしてたんですよ。自分は派手な演技とかをしたくないんですけど、作家の人たちには「もっと動きを大きくしろ」みたいに言われて。それで一応、作家の意見も取り入れないと思って、ちょうど中間ぐらいの動きでネタをしてたら、そんなことになっちゃいました。

――そんなこともあって事務所を辞められたんですね。

可児:そうですね。

高木:でも、そのあともフリーで活動しているわりには、いろいろなライブに出てたので、“おもしろい”っていうのは知られてましたよ。あと、賞レース以外は自分で出演費用を払って出るライブには出ない、というのもかっこいいなと。

可児:それは自分のポリシーです。プロである以上、お金払ってライブに出るのは絶対イヤだなと。