最近、年齢のせいなのか脳の容量のせいか、サッカー選手の名前を覚えられなくなってきました。

でも、青春時代に覚えたリーセとかヒーピアとかの名前は脳みそから一生消えません。困っています。2000年代のデータが重いです。フォルダにいろんなトラオレと、いろんなシッソコがたくさん詰まっています。クラウドに移行したいです。

とはいえ、まだしばらく消えてくれなそうなので、今日はリーセやヒーピア、僕にとって初めてのトラオレ(ジミ・トラオレ)や初めてのシッソコ(モハメド・シッソコ)が奮闘した04-05シーズンのリヴァプールの「イスタンブールの奇跡」のお話。

当時、僕は多くのリヴァプールファンと同じくジェラードが好きで、リヴァプールを応援していました。

今と違い……というか、クロップ政権以前はずっとそうなんだけど、リヴァプールは当時そんなに強くなく、03-04シーズンまではプレミアでマンチェスター・ユナイテッドとアーセナルの後塵を拝し続ける永遠の三番手。

そして迎えた04-05シーズン、オイルマネーで全く別のチームに変貌したチェルシーに鮮やかに追い越され、強さ的には四番手のチームとなったのです。

そんな当時の欧州のパワーバランスをCLで印象に残った試合とともに、ざっくりと振り返りましょう。

魔法使い・ロナウジーニョに魅了される

Jリーグファンには垂涎ものの話ですが、のちにJリーグで大活躍するフランサやポンテを擁したレバークーゼンが、銀河系軍団レアル・マドリードを3-0で粉砕したのが、04-05シーズンのグループリーグ。

ロベルト・カルロスの投げやりにもほどがあるクロスに、ジダンが伝説のボレーを決めて、レバークーゼンを沈めた01-02シーズン決勝のリベンジを達成。(余談ですが、私的『二大スーパーゴールの影に隠れる珍プレー』は、このロベカルの投げやりクロスと、98フランスW杯でオーウェンがアルゼンチンから決めたワンダーゴールの陰に隠れる、謎に低すぎるアルゼンチンの最終ラインです。ぜひ見てみてください)

というわけで、華やかな選手を過剰に集める一方、汗かき屋を淘汰した銀河系軍団から、ロナウジーニョのバルセロナにラ・リーガの覇権が完全に移ったのが、このシーズンでした。

バルサは、前年まではおそらく世界最強だったACミランとGLで同居するも、ロナウジーニョが終了間際に低速エラシコで当時世界屈指のCBネスタを翻弄して、弾丸ミドルを決めて勝利。テレビの前で叫んだのを今でも覚えています!! ロナウジーニョは最後に魔法をかけるのです!!

しかし、この年のバルセロナはクジ運がなかった。決勝トーナメント一回戦の相手は、この年プレミアリーグを制する最強の盾・モウリーニョ監督率いるチェルシー。

シーズン前に勝ち点90を取ると豪語してメディアの笑い者となった新任の若手監督は、開幕10試合で失点2という脅威をチームを作り上げ、最終的に勝ち点95を稼ぎ出しました。

お互い4-3-3の布陣でありながら、バルサとは真逆のスタイル。最強の矛vs最強の盾。事実上の決勝戦は、あまりにも早くに実現してしまいました。これが、このあと長きに渡って続いていくバルセロナとモウリーニョの因縁が始まった試合です。

これだけでコラムが1本書けるくらいの試合は、2戦合計5-4の激闘。

ペナルティエリア外のゴール正面でボールを足元に止めたロナウジーニョが、ダンスを踊るような見たことないフェイントで相手の動きを止め、シュートを打ったことにすら誰も気づかなかったのでは、と思うほどに誰も反応できないシュートをゴール左隅に叩き込みました。伝説のゴールが生まれたのが、この試合の2ndレグでした。

ちなみに、この試合の決勝ゴールは、大型補強で2年前とは全く異なるチームになったチェルシーの主力で唯一の生え抜き、キャプテンのジョン・テリーでした。闘将伝説の始まりです!!

さらにシビれるのが、翌年のCLのラウンド16で再び実現した同一カードの2ndレグ。ゴール正面30mほどの位置で受けたロナウジーニョが最強の盾に、単独ドリブルでど真ん中を切り込んでいきます。

スルスルと真ん中を抜いていくと、最後の壁は昨年バルサを沈めた闘将ジョンテリー!! ロナウジーニョは、なんとジョン・テリーを、パワーで弾き飛ばして突き進み、守護神・チェフの守るゴールを破ってみせたのです。

スペクタクルリベンジ!! だからカッコイイのよ!! ロナウジーニョは!!!

そして、結果的に最大のライバルをここで叩いたバルセロナは、この年、ビックイヤーを獲得したのでした。

▲05-06シーズンCLを制したバルセロナ 写真: Tangrowth / PIXTA