織田信長の時代は人生50年でしたが、現在は人生100年時代と言われ、日本は世界一の長寿社会を迎えています。ところで、寿命とは時間ではなく「経験回数」という説があります。つまり人生で大切なのは、どれだけ充実した時間を過ごしたかということです。工学博士・武田邦彦氏が命について語ります。
※本記事は、武田邦彦:著『幸せになるためのサイエンス脳のつくり方』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「群れ」として日本人は共通の遺伝子を持っている
地球上に最初の生命が誕生したのは約38億年前と言われており、ごく単純なつくりの微生物でした。
この頃の生物は、自分自身を複製するだけでした。同じ組織をつくり直して、そのままの状態を保った単性生殖であり、寿命のない生物でした。そのため、自分の子どもに命をつなぐということはありません。単性生殖は自分と同じことの繰り返しで、進化に乏しいのであまり繁栄しませんでした。
約10億年前にオスとメスという生物ができ、新しい性質を持つ個体(子ども)をつくる両性生殖に変わりました。お互いの遺伝子を半分ずつ切り、それをつなぎ合わせて新しい個体をつくることができるようになったのです。
ほとんどの生物が単性生殖から両性生殖に変わり、子どもに命をつなぐことで、親は死んでいくという循環ができました。これが「寿命」の発生です。
約5億年前に、ハルキゲニアというバージェス動物群の一種である動物がいました。その化石が発見されたのは1977年と最近のことですが、多細胞生物の初期の動物です。ハルキゲニアは「個体」から「群れ」に変わっていく初期の動物でもあります。
現在、群れをつくらない動物はほとんどいません。そして、群れを守るために平気で自ら命を投げ出します。トラのような個別で生活している動物でも、群れが危機に陥ると命をかけて仲間を守るのです。
典型的なのがイワシです。個の体より大きくしないと食べられてしまうので、イワシは1000匹以上でひとつの形をつくり、行動します。
つまり、イワシは個体ではなく、群れでお互いを守っているのです。そして1000匹以上いても、個体間ではテレパシーのような通信手段で連絡していると言われています。これは、多細胞生物の細胞間連絡でも同様の働きがあります。
私たちは自分の体をひとつだと思っているかもしれませんが、実際は60兆個ほどの細胞でできていて、それぞれの細胞はすべて独立しているのです。
一つひとつの細胞は独立していますが、私たちは、歩くときは手も足もすべて連動して動きます。人間の60兆個もの細胞がそれぞれ独立しているのに、全体では調和して動くことと、イワシ一匹一匹は別々の個体なのに、1000匹がひとつの群れとなり行動するというのは、ほぼ同じことだと考えられます。
細胞レベルだけでなく、人間社会における「群れ」もひとつの生命体と言えます。
たとえば、国家や民族もひとつの群れです。他国や他民族から身を守るために、イワシのように集団で暮らしているのです。端的に言えば、運命共同体です。
日本という国もそうです。そして、日本人の遺伝子は次の世代に引き継がれていきますから、群れとしては命が続いていくことになります。
自分に子どもがいるか、どうかは関係ありません。群れのなかに子どもがいれば、遺伝子の共通性があるので皆つながっていきます。つまり、私たちには永久の命が与えられているというわけです。
私の計算では、遺伝子が混ざる量は、ひとつの県の規模で120年くらい経つと共通の遺伝子を少しずつ持つことになります。日本の歴史は数千年、縄文時代を含めると1万5000年以上ですから、先祖代々綿々と続いてきた共通の遺伝子を日本人全員が少しずつ持っているのです。
海外の事故などで日本人が亡くなったというニュースを聞いて悲しくなるのは、遺伝子が共通しているからでしょう。
寿命は時間では計算することができない?
ところで、私たちは「あの人は50歳で亡くなったから短命だった。あの人は100歳まで生きたから長生きだった」というように、寿命は時間だと思っていますが、厳密には違います。
個体の寿命について、生物学者の本川達雄先生が『ゾウの時間 ネズミの時間』という著書で「体重が大きくなるほど、寿命も長くなる」と書かれています。
ネズミとゾウを比べると、ネズミの寿命は約2年、ゾウの寿命は約30年と言われています。
たとえば、ネズミが後ろを向くのに2秒かかるとしたら、ゾウが後ろを向くためには20〜30秒くらいかかります。ネズミが一生のうちで、生まれてから呼吸をしたり、歩いたり、エサを食べたりというような行為を300万回するのに2年かかるとすると、ゾウは同じ行為をするのに20〜30年かかる計算になります。
寿命2年で死んだネズミと寿命30年で死んだゾウは、その人生において「経験回数」は同じということです。
ネズミがゾウに「私は2年で死んでしまうのに、あなたは30年も生きられていいですね」と言ったら、ゾウは「いえ、私はノロマだから30年生きないと、あなたと同じ経験ができないのです」と言うでしょう。
セミはよく知られるように、一生のほとんどを地中で幼虫として過ごし、地上に成虫としてあらわれると、交尾をしたあと2週間ほどで死んでしまいます。
セミが出現したのは2億年以上も前で、その当時は氷河時代で過酷な環境だったため、長いあいだ地中で暮らすことになったと言われています。
通常、セミは土の中で6~7年間、幼虫として暮らしているのですが、ほとんど動かず眠っているので、寿命のカウンターがほとんどカウントされません。ところが、地上に出てくると活動が激しくなるので、2週間ほどの活動で一生分の寿命を使い果たしてしまうのです。
早く死んだら損だと思うことは浅はかな考えかもしれません。人生で大切なのは、「どれだけ充実した時間を過ごしたか」ということなのかもしれません。
人生の価値は、生きているあいだに行動した回数であり、それは誰にでも平等に与えられています。ただ時間を過ごしただけの人生と有意義な時間を経験した人生とでは、同じ50年だったとしても、まったく意味が違うと思うのです。