在宅で会社の真似事をするのは無理がある
しかし、自宅にいながら切り分けスタイルを貫くのは限界がある。いつか破綻するであろう人が相当数、出てくる。
ぼくもかつて、会社で仕事をした時期から、在宅ワークへの転換を経験している。ライター歴30数年のうち、最初の5、6年は週刊誌の記者として取材や撮影に飛び回る日が多く、家で仕事をすることはほとんどなかった。原稿は出版社の編集部で書いた。
それがやがて、自宅で原稿を書く仕事が増えていき、誰にも会わず家にこもるのが日常に変わった。そこから25年だ。
最初はペースをつかむまで時間がかかった。自宅には仕事用のデスクもなければ、イスもない。どうすれば、まじめに家で仕事に向かえるのか。なるべく以前と同じ環境を再現しよう。きっちりと時間を決め、毎日スケジュールに沿って仕事を進めよう。プライベートの時間と分けるのがコツだ。
そう考えていた。でも、無理だった。
誰の監視の目もないひとりの自宅で、自分が立てたスケジュール通りに、毎日規則正しく仕事に励むなどという、仏教の阿闍梨(あじゃり)の修行のようなミッションは難度が高すぎた。嫁でもいれば違ったのかも知れないが、嫁がいればいたで、また別のことをしてしまいそうな気もする。
これが短期間なら、できるのかも知れない。家で仕事することが今だけの特別な任務ならば、会社の真似事は有効な方法だろう。在宅ワークの「フェイズ1」である。
ところが家での仕事が長期間の日常になると、会社の真似事には無理が生じてくる。
なぜ私は家にいるのに、スーツを着てネクタイを締めているのか。朝の9時から仕事開始と決めたはずなのに、PCの電源をオンにしてメールをチェックしたらメルマガが届いていて、リンクを踏んだが最後、楽しいネットの沼に引きずり込まれて、仕事をする気力などどこかへ消えてしまう。テレビも禁止だったはずなのに、『ミヤネ屋』と『グッディ』の違いを語るようになり、夕方にはホラン千秋と加藤綾子の今日のファッションが気になってしまう。
それが普通だ。これが阿闍梨になれない普通の人間のカルマである。だから在宅ワークの先人であるフリーランスの多くは、わざわざ高いコストを払ってまで、仕事用の事務所を別に借りるという無駄に見える選択をしている。