昭和30~40年代テイストのアニメーションで人々を魅了する新進気鋭の映像クリエイター、かねひさ和哉。シンプルな線で描かれた魅力的なキャラクターと、そのキャラクターたちの音楽に合わせたリズミカルかつコミカルな動きは、何度も見返したくなる中毒性がある。自主制作で作るアニメーションでは、作画のみならず、作詞・作曲やナレーションまで手がけているというから驚きだ。

「こういった昭和テイストのアニメーションを作っていると、よく1回りも2回りも上の年齢だと勘違いされるんですよ。50代くらいだと思われていることもよくあります」と笑う。それもそのはず、2001年生まれの23歳である彼の作るアニメーションは、“昭和っぽさ”の再現度の高さとのギャップに誰しもが驚かされることだろう。

なぜ、こうしたアニメーションを作るようになったのか。アニメーション制作のきっかけや、こだわりについてニュースクランチがインタビューした。

▲かねひさ和哉【WANIBOOKS-NewsCrunch-INTERVIEW】

絵を描くことがトラウマになった幼少期

映像クリエイターとして活動している彼の創作の原点は、どういうものだったのだろうか。まず幼少期について聞いてみた。

「幼少期から、海外のアニメーションを見るのが大好きでした。ミッキーマウスや、トムとジェリーなどのアニメDVDを買ってもらって、繰り返し見ていました。特に、1920~1940年代にアメリカで活躍したマックス・フライシャーという作家の作品がとても好きなんです。

ポパイや、ベティ・ブープを作った方ですね。そういった作品に慣れ親しむうちに、“彼らはどうやってアニメを作ってきたのか”ということに興味を持つようになりました」

幼少期の頃からアニメーションに慣れ親しみ、自由帳にアニメーションの歴史などを調べてまとめていたという。小学1年生くらいから絵やマンガなども描いており、当時の夢は漫画家になることだったとか。

▲かねひさ和哉さんの自由帳

「小・中学生時代は絵ばかり書いていました。それが原因で、自由帳に油性ペンでぐちゃぐちゃに落書きされたり、いじめられたりっていうことがあって。それで一時期、絵を描くことがトラウマになっていました」

そうした経験から、中学3年生から大学生になるまで、ほとんど絵を描くことはなかったという。しかし、この経験を経て、高校生になってからはアニメーション史の研究活動をスタートさせた。ツラい経験にあいながらも、アニメーションやマンガから離れることができなかったのは、やはり好きだったからだと語る。

「その時期はインプットに徹していました。アニメーションの歴史について、かなり調べました。マックス・フライシャーの1920年から1938年までの作品を全部見たり、1969年から1978年までの8年間のサザエさんを全話見たり(笑)。とにかく、いろいろと見まくりました。

こういったことをやっているうちに、“インプットしたものを何か出力したい”という気持ちになってきて、アニメーションの評論活動を始めました。“かねひさ和哉”名義での活動は、ライター業が始まりだったんです」

ライター時代の主な仕事は、インタビューの文字起こしやテキスト制作など。その他に、1920年代から50年代にかけてのカートゥーンを中心に、アニメーションの感想や考察などを投稿したブログ『クラシック・カートゥーンつれづれ草』の運営も。その経験は、現在のアニメーション作りに活きているという。

「大学に入ってからは、アニメーションの歴史に関する同人誌を作っていたんですが、体調を崩してしまいました。2022年の初め頃に、息抜きのつもりで動画を作って投稿したら、何万回再生とたくさんの人に見ていただけたんです。

せっかく求められているならアニメーションの制作を本格的にやってみるか、ということで今の活動が始まりました。そして、アニメーションを作っているうちに、“絵を描くことが好きだ”という気持ちがだんだんと戻ってきたんです」