鶴田を本気にさせるべく『天龍革命』を宣言!

▲激しさを増していった鶴龍対決。鶴田の“覚醒〟はもう少し先になる

リーダーシップを発揮してくれず、リング上では長州が去っても危機感が見られない鶴田についに天龍が爆発した。

87年5月16 日、『スーパーパワー・シリーズ』第2戦の小山ゆうえんちスケートセンターにおけるタイガー・ジェット・シン&テキサス・レッド戦が、鶴龍コンビのラストマッチになった。

試合後、天龍はこうまくし立てたのだ。

「現状は現状として受け止めなければ仕方ないけど、お客さんには常にフレッシュ感を与えなければいけないし、強いインパクトを与えていかなければ失礼だし、ウチ(全日本)にとってもよくない。だから俺は今、ジャンボ、輪島と戦いたい。……ジャンボの背中は見飽きたし、輪島のお守りにも疲れたよ!」

ジャイアント馬場は選手のヒエラルキーを乱す言動、行動を嫌うだけに、これは思い切ったアクションだったが、馬場は天龍の主張を認めた。

6月1日の金沢におけるタイガーマスク(三沢光晴)の『猛虎七番勝負』第5戦の対戦相手として、低迷していたタイガーマスクの潜在能力を引っ張りだした天龍を目の当たりにして、「素晴らしい試合だったと思うな。タイガーは、負けはしたけれども、これを機に伸びていくだろう。これはタイガーに限らず、他の選手にも言えることで、どんどんこういうカードを組んでいきたい」と、天龍のプランを受け入れることを決断したのである。

これを受けて天龍は6月4日、名古屋でのオフ日にシャンピアホテルで阿修羅・原と会談を持って龍原砲を結成し、「阿修羅とふたりで突っ走って、ジャンボ、輪島を本気にさせて、みんなに“全日本は面白い!”って言わせてやる」と、『天龍革命』を高らかに宣言した。

「あの当時、いろいろなことを言ったと思うけど、心の中にあったのは“ジャンボ鶴田は凄いんだよ、元横綱の輪島大士は捨てたもんじゃないんだよ”ってこと。ジャンボがみんなの評価以上のものを持っているってことは身近にいた俺が一番知ってたから、他団体やファンにジャンボ鶴田の凄さと全日本プロレスの素晴らしさをわからせたかった。タイミングとしては、ジャンボが“天龍とやってもいいか”って思うポジションに俺がきていたと思うよ」と、天龍は天龍革命の真意を語る。