“終身雇用神話”が崩壊した日本社会において、近年では「早期退職制度」を利用して、飲食店ビジネスを志す人も珍しくない。プロレスラーの川田利明さんは2010年に東京都世田谷区に『麺ジャラスK』をオープンさせ、もうすぐ11年目を迎える。人気レスラーのラーメン屋ということあって、ビジネスとして大成功……と思いきや、ご本人は「脱サラしてもラーメン屋だけはやるな」と警鐘を鳴らす。今回はそんな川田さんに、ラーメン店経営で「絶対にやってはいけない」法則を語ってもらった。

※本記事は、川田利明:著『「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

全日本プロレス時代に引退後ことなんて考える余裕は無かった

プロレスラーの俺が東京都世田谷区に『麺ジャラスK』というお店を構えたのが2010年6月のこと。早いもので今年(2020年)、開店から11年目を迎える。

2010年6月にオープンした『麺ジャラスK』

いまだにいろんな人からこんなことを言われる。

「川田さんは、やっぱり早い段階からプロレスを辞めたあとのセカンドキャリアとして、“ラーメン屋さんになろう”と計画していたんですか?」

たしかに90年代の全日本プロレスのリング上で俺たちが展開していた『四天王プロレス』は……三沢光晴さん、田上明、小橋建太たちとは、まさに命を削るようにして、連日、日本全国をサーキットしながら、熱戦を繰り広げてきた。

いつ大ケガをしてリングに上がれなくなってしまうかもしれない闘いをやってきたわけで、「たしかに早い段階からセカンドキャリアについて真剣に考えるべきだったのかな」と今になって思う。

そもそも、プロレスラーには引退後の明確な道筋がない。メインイベンターとして闘っているうちから、セカンドキャリアの準備をしておくべきだったのかな、とは思う。

でも、現実を書けば、俺は全日本プロレス時代に引退後のセカンドキャリアについて考えたことなど、一度もなかった。

「ラーメン屋でも…」という安易な考えでは必ず失敗する

オーバーな話ではなく、そんなことは一秒たりとも頭に浮かんだことがない。というか、その日の試合のことだけで頭がいっぱいで、引退後の人生どころか、明日のことすら考える余裕すらなかった。それだけの覚悟を持って試合に臨んでいたのだ。

セカンドキャリアについて、早くから考えることは決して悪いとは思わないけれども、今の仕事に真剣に取り組んでいるのであれば、そんな先々のことなんて考えている余裕や余力なんてどんな業種でもないんじゃないかな?

どこかに「この仕事を辞めて、とっとと転職しよう」という考えがあったら、目の前の仕事に全力を注ぎこむことはできないし、そんな人が別の仕事をはじめても、結果を残すことはできるだろうか?

多くの人が今の仕事に不平や不満を持っているからこそ転職を考えるわけだから、まぁ、そうなっても仕方がないとは思うけれど、もうちょっと、今の仕事に全身全霊を懸けて向かい合ったら、また違った未来のビジョンが見えてくるんじゃないかな。

俺はそう考えてしまうし、その過程を踏まずに「脱サラしてラーメン屋になりたい」と考えている人には、しょっぱなから申し訳ないけど「そんな軽い考え方じゃ、どうせ上手くいかないんだから、止めたほうがいいよ」と言いたい。