結果が出なくても「去年より少しでも増えていればいい」

ライトヘビー級で優勝した山本氏は、さらなる上の階級であるヘビー級に挑むことを決意する。

「ライトヘビー級での優勝に満足していたら、プロとしての成長、自分自身の成長も、そこで止まってしまいます。ですから、上のレベルへの挑戦は必然でした」

ライトヘビー級デビュー戦で華麗に優勝した山本氏だったが、ヘビー級へのチャレンジは容易ではなかった。何度も予選敗退を経験することになる。

「ライトヘビー級は規定体重内で体脂肪を極限まで削る戦略がハマりましたが、ヘビー級では単純に“より大きく、そして研ぎ澄ませる”ことが求められます。筋量を増やすと体脂肪もつきやすくなる。仕上がりのバランスをどう整えるかに苦戦しましたね」

通常、一度完成させた体を、さらに上のレベルに引き上げることは至難の業だ。極限までトレーニングを積んだ状態から、さらにレベルアップを図るというのは、想像を絶する。並大抵の精神力では、それを続けることはできないだろう。何度も挑戦し、夢破れることの連続。心が折れそうになることはなかったのだろうか。

「“自分は、この階級では通用しないのではないか”と、考えたこともありました。しかし、たとえ大会で勝てなくても、前年より筋肉量が1kg増えていればいい。私にとっては“自分が前進しているかどうか”こそが重要でした。コンテストとは関係なく、常に筋肉量を増やし続けたいというモチベーションが、私を突き動かしていました。自分自身が、少しずつでも成長していることを実感できたからこそ、モチベーションを維持できたのだと思います」

▲少しずつでも成長を感じられれば、モチベーションは維持できる

最終的にヘビー級のコンテスト(NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ ヘビー級)で優勝できたのは、体脂肪を極限まで削り、筋肉を際立たせた状態を、作り上げることができたからだと山本氏は振り返る。

「結局、ヘビー級で優勝するには1998年から2005年まで、約7年間の時間を要しました」

7年越しに夢を実現したその矢先、さらなる悲劇が訪れるとは、この時点では誰も想像しなかった。

キャリア絶頂期に訪れた悲劇

7年という長い年月を費やし、ついに掴んだヘビー級の頂点。多くの人が山本氏のさらなる活躍を期待するなか、優勝からわずか3ヶ月後に彼を人生最大の悲劇が襲う。

「トレーニングを追い込みすぎ、上腕三頭筋が、完全に断裂してしまいました。今でも腕を完全に伸ばしきることができません。不自然に大きくヘコんでいますし、見た目の左右差も大きい。あの怪我で引退を決意しました」

ボディビルダーが、大胸筋やハムストリングスを断裂することはあるが、上腕三頭筋を断裂することはあまりない。それほどまでに、彼は自分自身を追い込んでいたのだ。まさにキャリア最大の危機。その時の心境は、どのようなものだったのだろうか。

「もう一つ上のスーパーヘビー級への挑戦も考えていた時期ですが、同時に、私自身は、すでに目標を達成し、満足している部分もありました。そのため、“絶頂期に引退できる”と、前向きに捉えていましたね。

今までの人生で『後悔していることは何か』と聞かれたら、この怪我を挙げるかもしれません。後になって振り返ると、“あの時、もう少し慎重にトレーニングをしていれば”と思うこともあります。しかし、その当時は、そのような判断はできませんでしたし、生まれ変わっても同じことをするんだと思います」

この怪我を「後悔」と表現しつつも、山本氏は「人生で無駄な経験は一つもない」と語る。

「私の中で、明らかな失敗というものは存在しません。エジソンも『99回の失敗があったわけではない。99通りのうまくいかない方法を発見したのだ』と言っています。大切なのはそれをどう活かすか。むしろ、あの時のあの怪我があったからこそ、現在のトレーナーとしての成功があると考えています」