個人のレベルを凌駕するゲーム作りに没頭
年に一度、学校が開放されて、一般のお客さんも入ることのできる、いわゆる「学園祭」みたいなのがありました。そこで部活ごとに、活動してきた成果の展示をやったりしていたんですね。その発表の場です。
1年生とか2年生のころは、まだそんなに大げさなこともしていなかったですが、だんだんその、年イチの学園祭の日に『だけ』展示するためのオリジナルゲームを作ることに、僕はめちゃくちゃな情熱を燃やすようになっていきました。
自分が作ったものが一般の人に遊んでもらえるのが嬉しかった、というのもありますが、今考えると「俺はこんだけモノを作ったぞ! ドヤ!」みたいな自己顕示欲のほうが大きかったのかもしれません。
僕が学生生活を送ってきた1990年代後半というと、ゲームセンターで「音ゲー」が誕生して大流行した時代です。コナミの『beatmania』から始まり、『DanceDanceRevolution(DDR)』の大ブームが起こりました。
高専生になると、いろいろと行動範囲も広がります。ゲーセンに行っても何も言われないんです。そもそもゲームが好きじゃないと、ゲームを作りたいなんて思わないでしょう。当時の僕もゲーセンに足繁く通っていました。音ゲーという新しいジャンルを目の当たりにして、「こんなアイディアがあったんだ!」みたいな衝撃を受けます。
で、どうしても「自分のDDR」が作りたくなったんでしょうね。ゲーム性的にはオリジナリティも皆無ですが、学園祭に「DDRもどき」を展示したこともあります。
音楽に合わせて踏むアレを自作してしまいました。コーディングもグラフィックも全部自分でやったし、足で踏むためのフットパネルも作ったんだよな。
さらには曲まで全曲オリジナル楽曲でやったんですよ、ええ。ちなみに仲の良かった別の学校の音ゲー仲間が、趣味で音楽(DTM)をやっていて、その学園祭のゲームのためだけに、無駄に15曲も作ってもらいました。個人でやるには割とエグいレベルのことをしていた気がします。
もうこれくらいの規模だと、1日とか2日ではゲームが仕上がるわけもなく、マジで学園祭の2~3か月前くらいから準備を始めてね。超大作なんですよ。それでも間に合わないから、当日の一週間くらい前からは、学校に泊まり込んでプログラムを組んだりして(笑)。
お前は何のために学校に行ってるんだよって感じになってましたもん。その期間も授業は進むわけですが、そんな状況で授業がマトモに受けられるわけもなく、まぁよく寝てたなあ。居眠りってレベルじゃなくて、最初から最後までマジ寝してたことすらあった気がします。