近年は家賃のお手頃感や物価の安さが注目を浴び「穴場」としてテレビ番組に取り上げられることが多く、再開発の進む北千住は住みたい街ランキングの上位に浮上。それでも足立区を敬遠するのは、やはり「怖い」「危ない」「貧しい」という評価が頭の中にこびりついているからだろう。23区研究のパイオニア・池田利道氏に足立区の魅力を語ってもらった。
※本記事は、池田利道:著『なぜか惹かれる足立区』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
平成になるまで大学がなかった足立区
2013年に葛飾区金町の工場跡地に東京理科大学が開校した。葛飾区では、古くから新小岩駅の近くにあった聖徳栄養短大を母体として、東京聖栄大学が2005年に開校しており、これが2つめの大学になった。
江戸川区には、これも古くから小岩に愛国学園短大(旧愛国学園女子短大)があり、2015年に東北大学国際会計政策大学院が、2019年には青森大学の東京キャンパスが新設された。つまり昭和の時代、葛飾・江戸川両区には、各区1校ずつの短大はあったものの大学はなかった。
昭和の足立には、大学どころか短大もなかった。足立区に初めて大学ができるのは平成の世になって4年後の1992年のこと。綾瀬に放送大学の東京足立学習センターが開設される。同センターは2000年に千住に移設するが、放送大学という特性から、区の総合学習施設のワンフロアに入居しており、キャンパスもっていない。足立区の悲願だった本格的な大学の誘致が実現するまでには、もうしばらく時間がかかる。
2005年、区は統廃合で廃校となった千住地区内の小中学校跡地に大学を誘致する構想を打ち出す。翌2006年、旧区役所庁舎跡地にオープンした「東京芸術センター」に隣接する旧千住寿小学校の跡に、東京藝術大学の音楽専攻の学部が開校した。
続く2007年には、東武スカイツリーラインの堀切駅のそばにあった旧足立第二中学校の跡地に東京未来大学が開校。足立第二中学校は、TVドラマシリーズ『3年B組金八先生』の舞台となった「桜中学」のロケ地となったところ。そう説明すれば、40代以上の方ならおよそのロケーションが浮かんでくるだろう。
2010年になると、隅田川沿いの旧元宿小学校と児童館・老人館の跡地に帝京科学大学が開校する。かつて千住名物として親しまれた「お化け煙突」が立っていた旧東京電力千住火力発電所のお隣だ。インターネットで古い写真を見るとまさに下町の中の下町。そこに大学ができるとは、当時誰も想像できなかっただろう。
さらに2012年には、北千住駅東口駅前のJT住宅跡地での東京電機大学の開校と続く。東京未来大学以降の3校は足立に本部を置き、帝京科学大学と東京電機大学では、開校後もキャンパス内施設の増設や教育・研究内容の拡充が続いている。
大学との共存共栄を目指す街づくり
足立区が目指したのは、単に大学ができ、学生が集まり、街が賑やかになったり街のイメージが変わることだけではなかった。
大学が子どもたちの未来への目を開く場になること。地域の産業との間で、ニーズ(大学に求めること)とシーズ(大学が提供できること)が結びつくこと。学生が街に住む人々や商店街との触れ合いを通じて、学校では学べない教育の場を提供すること。つまり、大学と街が共存共栄を図っていくこと。ここに共感が芽生えたからこそ、大学が足立という街に熱い目線を注ぐようになったのだ。
講座、イベント、産業連携等々、足立では大学と街との連携が日常的に繰り広げられている。学長会議、大学実務者会議などを通じた相互コミュニケーションも深い。その実績の積み重ねが、ついに千住という枠を超える広がりをみせる。
竹ノ塚駅から北東方向に、直線距離で約2kmの花畑5丁目に、文教大学の「東京あだちキャンパス」が2021年4月に開校することが決定。国際学部、経営学部のあわせておよそ1640人の学生が、足立で学ぶことになる予定だという。
教育の場ではないが、日暮里・舎人ライナーの江北駅近くには、東京女子医大東医療センターの荒川区からの移転も決まった。2021年の開設が予定されており、450床の地域の中核医療施設ができるとともに、看護専門学校等も併設される。
近年、大学病院は病気の治療だけでなく、病気の予防、健康増進、介護支援や子育て支援拡充への関与など、地域医療連携に積極的だ。健康をキーワードにした、街と大学との新たな連携が期待される。
「まずは千住から」という戦略的な視点に立った選択と集中があったのかもしれないが、やはり千住は足立の中では異色な街だ。千住を超えた広がりがあってこそ、足立が変わったと掛け値なしで評価できる。その意味で、文教大学の開校も、東京女子医大病院の移転も、足立の変化が第2段階に入ったことを告げている。