自粛警察の根底にある「正義感」

コロナで自粛を余儀なくされていた中、自分勝手な行動をとる人が許せないという気持ちはもちろんあるでしょうが、もうひとつ私たちの周囲にあって息が詰まるのが、不謹慎狩りと呼ばれる行為です。

これ自体は昔からよくあった行為で、たとえば社会的に不幸な出来事があったときに、SNSなどにおいしそうな食事などを投稿すると、「こんな時期に不謹慎だ」とどこからともなく湧いてくる人たちがいます。

こういった行為を繰り返し行う人たちの頭の中は、「つらい思いをしている人たちがたくさんいるのに空気が読めない人間だから許せない」といった正義感に支配されているようです。

最近では、営業を続ける店舗を告発したり、公園やショッピングモールで遊んでいる子供がいると通報したりするニュースが報じられています。

自分は我慢しているのに許せないと、その矛先が他者へ向いて攻撃的になってしまうのでしょう。以前と比べて、ここ最近は特にその傾向が強いと感じます。

不謹慎狩りをする人たちは「自分は世間の代弁者」であるという自負があるのでしょうか、みんなも同じようにすべきだという強烈な同調圧力=ネガティブキャンペーンを行います。

その結果、世間の目はどんどん厳しいものとなり、「子供が公園で少しくらい遊んだっていいじゃないか」という意見を圧倒してしまうのです。

現在、社会は閉塞し、思ったような行動はできません。その結果、抱え込んだエネルギーが正義や道徳へと変化して、他人への攻撃を継続・エスカレートさせているのです。

自粛警察の根底にあるの「正義感」 イメージ:PIXTA

コロナ差別のニュースが心を傷つける

一方、コロナの感染拡大初期に、中国人客を入店禁止にしたラーメン店がありました。店主はSNSを通じてこの判断が正当なものであると語り、同時にそれを支持する人がいることに驚きを禁じえませんでした。

ウイルスを持ち込む可能性が高いからという理由だったのですが、コロナが日本国内に感染拡大したときに日本人を入店禁止にしたという話は聞きませんでしたし、自主休業もしなかったようです。

世界的には人種や国籍だけで忌避する風潮「コロナヘイト」が広がり、世界中でアジア人がいわれなき差別を受けることになりました。これまで差別を目の当たりにしてこなかった日本人は、そのニュースを聞いてひどくショックを受けたように感じます。

しかし、国内で感染者が多数発生すると、罹患した人を村八分のようにしてしまうという驚くべき事態が起こりました。その事実に私たちは驚き、そして悲しい気持ちに包まれるのです。

国内では感染者の自宅に心ない落書きや投石があったというにわかに信じられない事件も……。さらには、コロナと最前線で戦っている医療従事者にもその被害は及びます。

医師や看護師の子弟や家族が保育園から保育を拒否されたというニュースが報じられると、私たちの命や生活を支えてくれている人が、差別に晒されるというあってはならない事態に、私たちは絶望的な気持ちになるのです。