「追い出しの鐘」と「から汁の店」

図2と図3は、内藤新宿の女郎屋と飯盛女が描かれている。

▲図2『角鶏卵』(月亭可笑:著/天明4年) 早稲田大学図書館:蔵
▲図3『大通契語』(笹浦鈴成:著/寛政12年) 国会図書館:蔵

戯作『古今無三人連』(天明3年)で、勤番武士三人が内藤新宿に出かける。経験のある沢口が案内役で、石部と片岡は初めてだった――

沢 「女郎屋はどこがよかろうのう」

石 「どこと申して、拙者なぞは堀の内へ参詣いたしたとき、通ってみたばかり……(中略)……なんと、片岡氏、いかが思し召す」

片 「御意の通り。拙者も両、三度ばかりも通ってみましたが、ついに内へはいってはみませぬゆえ、内の様子は存じませぬ。とかく、沢口氏の心次第になさるるがようござりましょう」

という具合である。

庶民の男にとっても、また下級武士にとっても、「堀の内」は男の歓楽街と密接に結びついていたことがわかろう。

なお、宿場のはずれにある天竜寺(新宿区新宿4丁目)の時の鐘は、女郎屋に泊まった男たちに後朝(きぬぎぬ)の別れを告げる「追い出しの鐘」とも称された。

いっぽう、朝帰りの男が立ち寄るのが、から汁の店だった。から汁とは、おからを入れた味噌汁。

から汁の店は、朝帰りの男をあてにして、早朝から営業しており、内藤新宿の名物でもあった。

『江戸の男の歓楽街』は次回7/22(水)更新予定です、お楽しみに!

【用語解説】

・江戸四宿(えどししゅく)
品川(東海道)、板橋(中山道)、内藤新宿(甲州街道)、千住(日光・奥州街道)の四つの宿場を、江戸四宿と呼ぶ。四宿はどこも飯盛女を置いていたが、男の歓楽街としてとくに人気が高かったのは品川と内藤新宿である。

 〇今に残る内藤新宿の痕跡

妙法寺
杉並区堀之内3丁目にある。最寄り駅は丸ノ内線新高円寺(編集部撮影)
天龍寺
新宿区新宿4丁目にある。「追い出しの鐘」があったとされる。(編集部撮影)