大切なのは「世界観」と「出玉感、スペック」の融合

2.当たったときは、精いっぱいプレイヤーを「祝福」してほしい

僕が日ごろから思っていることとして、パチンコやスロットは「誰もが平等に、奇跡の瞬間を、疑似体験できる遊び」だと思っているんです。もちろん、お店の状況やプレイヤーの資金力の差は出てしまいますが、それでも、同一条件なら、年齢も学歴も関係なく、みんなに確率は平等です。

パチンコで大当りを引くのは、当たり前ですが一番うれしい瞬間です。でも、当たりを引くのは難しいことなんです。爆発力や瞬発力のある、大当り確率が低めの台なら、なおさらのこと。言うなれば「奇跡」を、プレイヤーは起こしているのですよ。

だからこそ、そこを突破したのなら。奇跡を起こしたユーザーに対して、あの手この手で「よっ!! すごい!! 流石!!」って、台に祝福して欲しい、とでもいうのかな(笑)。

『ルパン三世 消されたルパン』(平和)は大ヒットしたMAXタイプの機種ですが、この台が上手だったのは、この辺りなんじゃないかなあって勝手に思っています。確変中の当落煽りで、最後にボタンが出てきますよね。ボタンを押してサーチライトが完成することを、プレイヤーは祈ってボタンを押すわけですが、たまにボタンを押した瞬間にプチューンってなって、タイプライターに行ったりすることがあります。

あの辺がもう、ほんま、たまらないわけですよ。プレイヤーは「サーチライト完成しろ!」って思って押してるのに、それを裏切ってさらに上を行く祝福をしてくれてるんですよ。そうすると「ふおおおお!!!」って、なるんです。

当たったことに対して、そういった演出で盛り上げてくれる台って、とってもいい台だと個人的には思っています。

一方で、ハズレ演出でミニキャラがゴチャゴチャ動いて「……!?」みたいな演出だけは、やたら数が豊富に用意されていたりする台があったりしますけど、違うのよ。そうじゃないの。力を入れるべきは。『ハズレをいかに彩るか』じゃなくて『当たりをいかに彩るか』に力を注いでほしい、って思うのです。

こういう「当たりが、とにかく気持ちいい」台って言うのは「また打ちたいな!」ってなります。併せて、大当りや確変中の楽曲とかも大事だと思います。やっぱ、ノリノリで消化したいじゃないですか! 「神曲聞きたさ」に打つプレイヤーも多いですよね。ゲッダンゲッダン。

3.「世界観」と「出玉感、スペック」が融合すると、没入する

最近の台はタイアップものが多いです。どうしてもパチンコ化となると、バトル物が多くなりがちですね。

なんといっても、バトル物はわかりやすいです。敵をぶん殴れば大当りなので、リーチ演出とかも作りやすい。そんな中でも長期的に支持を得ているのが『花の慶次』シリーズ(ニューギン)だと思うんですよね。日本人としては馴染みが深い、和の歴史モノ。そんな中に現れた『傾奇者』が、暴れまわる瞬間は見ていてスカッとするとでもいうのかな。

慶次といえば「城門突破」ですが、松風とともにブッコ抜いたときの気持ち良さ、そしてそれに伴う出玉感、疾走感、スピード感がすごくマッチしている。

慶次はそういった「ロマンあふれる群雄割拠、一触即発の戦国時代」において「奇跡を起こした男」が現れたときの「衝撃」や「破壊力」みたいなものを、出玉感に上手くつなげることに成功しているのだと思います。だから最初のハードルがそれなりに高くても「やってやろうじゃねえか!」みたいな気にさせてくれるとでもいうのでしょうか。

真逆で上手いなあ、って思うのは『冬のソナタ』シリーズ(KYORAKU)とかですね。あの台の凄いところはバトルとはかけ離れた「どう考えてもパチンコには不向きだろ!!」っていう題材の演出と出玉感を融合させたところ。

パチンコでの大当りは「奇跡の一種」だと先ほど書きましたが、冬ソナで「上手いなあ」と思うのは『緊急入院モード』ですね。ドラマ上で、車にはねられてヨン様が入院してしまうシーンがあるんですが、入院モード中は最終的にヨン様が「目を覚ませば確変」で「目を開かなければ通常」になります。

この辺りが上手いんだよなあ。「車にはねられて生死の境を彷徨っている」人が「目を覚ます」という奇跡が起きると、確率変動なんですよ。プレイヤーが「奇跡を疑似体験」できて、奇跡の結果「出玉も増えて嬉しい」っていうね。

スペック的にも無難な王道ミドルなのも、実は地味に世界観に寄与しているんですよね。リメイクもされていますけど、あれが小当りラッシュ機とかになってて、大当り中に『+15!』『+15!』『+15!』って画面いっぱいに出ちゃった日には「何が冬ソナなのよ!」って、プレイヤーは思んだろうな、って。